自分なりの楽しみ方
個性かクセか
~佐賀・唐津 Karatsu~
型の中に独自の形を見いだす。
突然で意味が分からないかもしれませんが、伝統工芸作品のおもしろさの1つが、そこだと思います。
だから伝統工芸品を作る人は、伝統を守る職人であったうえで、新たな作品を生み出す作家、アーティストであってほしい。
そう思ったのは、唐津のある若手焼物作家さんと話をした時です。
その方は唐津焼のある師匠の下で確か8年間修行をして、ついに初めて個展を開きました。
その初個展となったギャラリーで偶然お会いした時に、こう言ってました。
「僕がやっている焼き物には、伝統的に守られてきた形があるんです。型と言ってもいいと思います。それを外してしまうと、ここの焼き物とは呼べなくなる。その中で、自分ら若手にとって厄介なのがクセなんです」
「経験の浅い者が個性を狙って作っても、作品に表れるのは結局いつものクセという形に過ぎないんです。個性は認められることがあっても、クセは嫌われます。むしろクセは自分で気づかなくて、師匠から指摘されて気づくことが多い。だから今はいわゆる個性を排して、クセがない“素の形”をそのまま作ることを強く意識しています。それを意識して作り続けたうえで、自分ならではの個性がうまく出てくればいいと思っています」
禅問答のようで、深い話です。
その方はまだ30代前半の前半、さらっとそんな話をしていましたが、こちらとしては考えさせられ、ものすごく心に残りました。
そうか。個性は「出す」ものではなくて、「出てくる」ものなんだ。
こういう出会いがあると、若手の職人さんが奮闘し邁進している姿は純粋に素敵だなと思うし、自分の好奇心に強くひっかかるし、この後どんな作家になっていくのか応援しながら追い続けていきたくなります。
大御所にして新しい作風
一方で別の機会には、こんな話を聞きました。同じく焼物作家の話です。
あるギャラリーの女性オーナーが、大御所と呼ばれる作家について、こんなことをおっしゃっていました。
「あの作家さん、60歳過ぎてから新しい作風を身につけたみたいなのよ。普通の作家ならその歳になったら作風は固まって縮こまる一方で、新しいスタイルなんてできないわ。だからすごいのよ」
長年のお客さんが「これは○○さんの器だね」とひと目で理解する一方で、
「今までにはなかった作風だね」とじっくり見聞したうえ、納得して買っていくそうです。
大ベテランが何十年もかけて作風という個性を確立した後で、もう1つまた新たな個性を生み出し、それをオールドファンが認めたわけです。
変える部分と、変えない部分。
果てしない探究心があるから、できることだと思います。
今までとちょっと違うものを1つだけ作るのは簡単かもしれません。
でもそれをスタイルとして確立し、バリエーションとして展開できるまでに定着させるのは、もちろん簡単ではないはずです。
作家と一緒に時間を旅する
そんなことが出来るのは職人の中でも本当に稀らしいです。
ただ、この一連の出会いで感じたことがあります。
焼き物に限らず若手の職人さんとその作品を追い続けられたら、自分も一緒に造詣を深めていくことができるかもしれない。
クセと個性が見分けられるようになり、いずれ新しい作風に気づいて驚かされることがあるかもしれない。
数十年という時間をかけた遊び。時間を旅する感覚。
それもまた、自分なりの伝統工芸の楽しみ方なのかもしれません。
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