Vol.17 益子 登り窯、火入れの夜

 

川尻さんの工房に着いたのは、予定より少し遅れた夜の10時過ぎでした。

6月末の月曜日。昼間は都内で仕事をして、

夕方になっても微妙に終わらない仕事を少し焦りながら片付け、

車を運転して益子へやってきたのでした。

梅雨時だけに「雨かもなあ」と思っていたものの、嬉しい感じで予想を裏切られて益子は薄曇り。

月がボヤんと滲んで見える夜でした。

 

火も夜も親密でした

2017.7.30

大竹一平

 


益子の夜

 6月の初め、益子にある川尻製陶所で土作りから焼き物体験をさせてもらい、ビアカップを作ったのでした。その時、川尻製陶所の若き主、川尻琢也さんに頼んでみました。

 「もしできたら、登り窯の火入れを見せてもらえませんか?」

    火入れって焼き物職人にとっては最後の仕上げなので、神経質になっても不思議ではありません。川尻さんの工房では2か月に一度、火入れをするそうです。2か月分の作品たちの成否が、ここで決まるわけですから。

 

 「いいですよ。あとで案内を送りますね」

 

 あれ。川尻さんはその場で、意外なぐらいあっさりと引き受けてくれました。思えば川尻さんの工房に来るきっかけとなった「土作り、轆轤体験、益子満喫ツアー」を企画した長根さんも、火入れを見学していたのでした。でもそれ、実は相当すごいことなんじゃないかな。当たり前と思っちゃ絶対にいけません。

 

 薄曇りで星も見えない夜。益子の山にほんのちょっと入った川尻製陶所に着きました。車から外に出て、ドアを閉めて照明が消えると、不意打ちをくらったように真っ暗。鼻をつままれても分からないぐらい、真っ暗。

 闇、自分が育った埼玉も、夜の田んぼ道は慣れないと怖いぐらい暗いです。東京の夜は話になりませんが、埼玉の田んぼの闇と、益子のなかでも街から山に入ったここの闇とでも、また少し深さと質が違うようです。

 

 登り窯は文字通り斜面に煙突状に作られる窯で、一般的には一番下から順番にだいたい3つか4つ、焼き物を焼く部屋があるようです。窯の一番下にある部屋で大量の薪が終始燃やされ、その熱は斜面に沿って窯の中を駆け上っていきます。それに加えて、焼き物を入れる3つから4つの部屋でも順番に、温度を見ながら薪をくべ(というか投げ込み)、常に火を絶やさないようにして作品を焼き固めていきます。

 

 「どうもおつかれさまです」

 

 登り窯を覗くと、川尻さんが声をかけてくれました。土を固めて作られた窯の口からは、オレンジの炎が洩れています。火入れ自体はこの日の早朝4時頃から始まっていたそうなので、この時点ですでに18時間は火の番をしているわけです。

 

 「おつかれさまです。火、入ってますねえ」

 

 まあ窯に火が入っているのを見に来たのだから当たり前なんですけど。でもやっぱり、なんでしょう、川尻さんの登り窯自体は前回来た時にも見ているけど、やはり火が入っている姿を、しかも夜に見ると感動するというか、興奮するというか、素面(しらふ)のまま一気に酔いがまわるような、不思議なテンションになります。これが火の力、なのか?

 

 「車、置けました? 煙突の近くに置くと、煙で煤けて黒くなっちゃうので、少し離しておいたほうがいいですよ」

 

 あ、そうか。

 そう言われて、少し車を動かしに戻りました。川尻さんの工房は、車を停められるスペースと建物があって、そこをトップに下り斜面に沿って登り窯が設置されています。駐車場が登り窯の一番上、煙突の部分にあるんですね。さっき初めて車で入ってきた時、暗闇の中で登り窯の辺りだけが少し明るくなっていて、もくもくと煙が見えたんです。だから光に誘われ、ついついその近くに車を停めていました。行動が虫と一緒です。そうだよな、あそこじゃ煤けるよな。

 

川尻製陶所の川尻琢也さん
川尻製陶所の川尻琢也さん

登り窯の世界

 再び登り窯に戻り、窯の頂上近くに立ち、下りていきます。

 

 しかし、なんだろう。あらためてここに立つだけで、不思議な世界です。

 前回の土作り&轆轤体験の時と同じく、辺りは静かです。でもあの時とは決定的に空気が違う。

 

 まず色彩。前回は昼間だったので、山の緑や空の青、花の色が鮮やかでした。今、それらはすべて墨で塗ったように薄墨から漆黒に埋もれています。ただ、その中で唯一存在感を出しているのが窯から漏れ出る炎のオレンジ色。強烈だったり弱かったり、いつも動き続けていて、見る場所や瞬間によって屈強に見えたり、柔らかく親密に見えたりもするオレンジ。

 

 火。これも不思議です。たとえどれだけ力強く見えても、ここにある火はなんというか“こちら側”の気配があります。勢いよく圧倒的な火力で燃え盛っているのですが、近寄りがたくはない。たぶん、この火は味方なんでしょう。もちろん、かといってその懐に飛び込む気は……。


 次に感じたのは音。轆轤を回した時と変わらず周囲は静かです。でも、その質はやはり違います。なんだろう。この前は静かさの中にも風の音があり、鳥の声があり、全体的に山の音がありました。それに、音とは違うかもしれないけど、坂の下に広がる益子の町から伝わる人と生活の気配がありました。そうだ、それにあの時は雷と雨の音もあったんだ。

 でも、今は山の気配も町の気配も闇に包まれて伝わってきません。

 

 音。それ自体はここにもあります。一番存在感が大きいのは、炎の音(あれは音というより、気配なのかもしれない)。それと登り窯の一番下で見守る川尻さんと、この日の火入れをいろんな立場から見守り、関わっていく人たちの気配。それはあります。

    でも逆に、それだけしかありません。


 ここは色も音も気配も、いつも暮らす世界から関係ない場所にあるような。濃い闇が分厚い壁となり、外の世界からは隔離されていて、その壁を抜けてやってきた今、ここは完璧に登り窯の世界です。登り窯と今ここにいる数人、それと炎だけが、この世界すべてなんだと感じられます。

 

 ここは、どこだ?

 

不思議と居心地がいい

 深夜の登り窯にいたのは自分以外に6人。川尻さん、川尻さんの奥さんとお母さん、手伝いでやってきている川尻さんの後輩で昼間は農業をやっているという崇志さん、それとフォトグラファーの長谷部由美子さんとそのパートナー。あと川尻さんのペットの犬が一匹。

 長谷部さんは今年10月と言ったかな? 東京にあるゲストハウスで展示するための写真を撮りに来ているそうです。

 

 登り窯の側にある階段を下りて行くと、一番下にはみんながいられるように縁台やディレクターズチェアが置かれる“ベースキャンプ”になっています。ベースキャンプというか、居間ですね。というのも、雰囲気がいい具合にゆったりと緩いんです。

 半屋外で薄暗い電灯の下、冷たいお茶や朝採れのトマト、おむすびに漬物なんかが置いてあり、座っていると川尻さんのお母さんが「暑いから飲んでくださいね」なんて冷たいお茶をすすめてくれたり。これなら毎日火入れしたいと思えるぐらい、居心地がいいです。

 もちろん、それは傍観者の目で、主である川尻さんの心の内は違うのでしょう。この時を迎える特別感はあるはずです。ただ、外見から推し量ると、この前会った時と同じように、とても“素”です。火が入っているからと興奮した様子もなく、仕上げだからとナーバスになる風でもなく。まっすぐ静かな目で、登り窯を見つめています。おそらく、これが彼のスタイルなんでしょう。周りを慌てさせることがない。

 

 「子どもの頃は火入れってなんかものすごく特別な感じで、いつも楽しみでした。夜通し行われるお祭りみたいな感覚だったんでしょうね」

 

 川尻さんはそう言います。なるほど、たしかに子どもならそう思うかもしれない。だって、自分が今そんな感じだし……。

 

昼間の川尻製陶所
昼間の川尻製陶所

1240?

 川尻さんの窯には焼き物を入れる部屋が4つあるそうで、夜10時半の段階では一番目の部屋に薪が入れられ、焼かれているところでした。薪を入れる口には崇志さんがほぼいつも張りついていて、川尻さんの指示を聞きながら薪を投げ込み、火の調節をしています。

 

 「3本行こうか」

 「3本でいいですか?」

 「あれ、さっきは4本だっけ」

 「そうですね。さっきは4本でした」

 

 みたいな感じで。

 3本とか4本とかいうのは、窯に入れる薪の本数のようです。

 

 最初、川尻さんが見つめているのは登り窯本体なのかと思ったのですが、それだけではないようです。よくみると、窯の近く、ちょうど崇志さんの頭の上にデジタル表示の機械が置いてあり、それを見ているようです。

 

 「あの数字が出てる機械はなんですか?」

 「温度計です。焼き物専用の温度計で、あれを見ながら窯の火を調整していきます」

 

 あ、あれ、温度計なんだ。

 言われてみれば当たり前だけど、聞いた瞬間はまったく意外な答えでした。

 その時は1240から1265の辺りを行ったり来たりしており、常に動いている。なんの数字だろう?と純粋に不思議な思いで見ていたぐらい。そうか、温度計だよ。

 思うに、1240とか1260という数字って、「温度」としては日常生活ではあまり見たり触れたりしない領域ですよね。いや、僕の日常ではそうなんです。だから、その数字を見ても我が脳ミソは直観的に「こんな数字が温度のはずはない」と認識してしまったようで。むしろラジオかと思っていたぐらい。

 へー、そうか。やっぱりここって、オレにとっては知らない世界なんだ。

 

 その時間帯はだいたい1240から1260度ぐらいの間で保っているようで、1240度近くまで温度が下がってくると、温度計を見た川尻さんが「そろそろ追加しようか」という感じで崇志さんに指示を出しているようです。自分が見た範囲では、この時は仕上げに近づくにつれて1280度ぐらいまで上げていたようです。

 投げ込む薪の数が増えれば温度は上がります。ただそこで急激に窯の温度を上げると、焼き物にヒビが入ってしまったり、表面に泡が出てしまったり、割れてしまったり。川尻さんは見えない窯の中の焼き物の状態を想像し、窯の中の状態をコントロールするために投げ込む薪の数を考え、崇志さんがそれを投げ込むわけです。

 

 そう。薪って、なんとなく「くべる」っていうイメージがありますが、ここでは投げ込むんです。

 

右上にある赤いデジタル表示が温度計
右上にある赤いデジタル表示が温度計

我がビアカップは……

 川尻さんの登り窯は直径2メートルちょっとあるようです。窯の中はできるだけ均一な火力で満たしたいので、薪を燃やす位置がとても重要な要素になります。さっきから3本とか4本とか言っているのは、その2メートルある窯の一番奥から手前までの間に、3本か4本を“置く”という意味です。

 もちろん1240度の窯の中に入って行ったり、腕を突っ込むわけにはいかない。しかも、一番奥だと2メートル先まで薪を運ばないといけない。そのために、それなりの勢いで薪を投げ込むわけです。

 ただし、窯の中の温度を維持するためでしょう、薪を投げ込む入り口は小さく、せいぜい15センチ四方といったところ。しかも同じく少しでも熱を逃さないように、でしょう。入り口自体がとても低い場所、足元に作られています。

 

 だからだと思うのですが、投げ込む姿勢が独特でした。

 

 窯の手前に薪を置きたいのなら、しゃがんだ姿勢で置くように薪を投げ込めば問題ありません。ただ、少し遠く、窯の奥へ投げ込もうとすると大変です。普通に正面に立って投げ込もうとしても厳しく、少なくとも中腰になって下投げにする必要があります。でもやってみると分かると思うのですが、その姿勢で中腰になって物を投げるのって、けっこう力を入れにくい。しかも、目線は高いままなので、足元の小さな入り口から中を覗き込んで狙いをつけようとすると、どうしても無理があります。

 崇志さんを見ていると、後ろ向きに屈んだ姿勢から、肘から先だけを使ってポイっと投げ込んでいます。その姿勢だと、屈んだ膝越しに入り口と窯の中を見ることができ、それで狙いを定めて投げ込めるようです。少なくとも一本目の薪は。

 

 投げ込んだ後、川尻さんと崇志さんが交わす会話もまた独特でした。

 

 「いま、いい音したねえ」

 「そうですかねえ。なんか自分ではイマイチだったかなと思ったんですけど」

 「いやあ、だいじょうぶ。けっこういい音してたよ」

 

 その時、自分は気づかなかったのですが、一番奥まで薪を投げ込む時、うまくできるとカコン!と乾いた音がします。確かに乾いた「いい音」なのですが、もちろんそれだけの理由ではないでしょう。

 

 「薪の位置は音で判断するんですね」

 「そうなんです。あれは投げ込んだ薪が、窯の向こう側の壁に当たった音です。あとで見てもらうと分かるんですが、薪を投げ込むとすぐに火が強く燃え上がるので、炎に隠れて薪がどこに落ちたか見えなくなるんですよ」

 

 あー。なるほど。そういうことか。

 崇志さんが薪を投げた後に窯を覗かせてもらうと、確かに小さな入り口から見えるのは濃いオレンジだけ。窯に投げ込まれた瞬間から薪は盛大に燃えだすようで、勢いよく踊る炎しか目に入りません。確かにこれじゃ薪がどこに落ちたか分からない。しかも、中からの風、熱風の存在感が強烈で、顔を寄せて長く見続けることも厳しい。窯の火力、半端ないです。ここへ来てようやく、「焼き物」と言われる意味が本当に分かった気がします。

 

 それにしても――。

 こんな凄いところに閉じ込められちゃって、おれの可愛いビアカップは本当に大丈夫なんだろうか……。

 

 「火の勢いが凄いですねえ。しかもこの梅雨時なのに、薪はよく燃えますね」

 「そうですね。今年の梅雨は雨が少ないせいもあって、薪がよく乾いているようです。大竹さんのビアカップは4番目の部屋に入っているので、一番最後に出来上がりますよ」

 

 お、そうか、我がビアカップはまだ出番待ちなわけか。とはいえ、足元からジワジワと上がってくる熱風を受け、ウォーミングアップを熱く始めているはずです。元気に帰ってこいよ。

 

 「この感じだと、終わるのは何時頃になりそうですか?」

 「そうですねえ。おそらく朝の8時か9時にはなると思います」

 「そうか、そうなると、今回はその前にここを離れないといけないなあ」

 

 翌日も仕事に出ないといけないので、朝5時にはここを出て、いったん家に戻らないといけません。残念だけど、ビアカップ誕生の瞬間に立ち会うことは出来なさそうです。

 

焼き上がり直後の姿に息をのむ

 やがて「そろそろかな」と川尻さん。

 最初の部屋が焼き終えたようです。

 窯の中から「色味」と呼ばれる小さな器、爪楊枝入れにちょうど良さそうな小さな壺が取り出されます。これは釉薬の色を見るための、まさに「色味」です。それにしても、取り出された色味を見て、一瞬息をのみました。

 

 ……。

 

 壺、真っ赤です。焼けるって、こういうことなのか。

 むしろ溶けています。高炉から流れ出る鉄のように、全身が真っ赤で、飴のように柔らかそう。ただ、実際にはそこまで柔らかくはないようです。川尻さんが細い鉄の棒を器に差し込んで手早く転がすと、チン、チンと小さな、それこそ金属のようないい音がします。

 

 「この音で、締まっているか確認をします」

 

 いい音をたてながら転がされていくと、色味はみるみるうちに赤みが引き、普段見ている姿に落ち着いていきます。こんな風に出来上がるんだ、陶器って。

 

 1つの部屋が焼き終わると、次は2つ目の部屋に移ります。再びジワジワと薪を燃やし、温度をゆっくりゆっくり、上げていきます。


 正直、個人的にはボケっと見ているだけなので特にやることもないのですが、不思議なぐらいに退屈さは感じません。燃えている火、流れている水、これはなぜか飽きずに見ていられる2大流体だと思っています。登り窯はいつも直接火が見えるという感じでもないのですが、火の気配を近くに感じるだけで、こんなに心地よい気持ちになれる。

 

 12時半を少し過ぎた頃、川尻さんは窯の様子を心配しつつ、少し考えてから頷き、「いったん、僕はここで2時間の休憩に入ります。皆さんも適当に休んで下さい」と言って一度窯を離れました。「そうだ、もしよかったら、あとで薪を窯に投げ入れる体験をしてみてください」とも。お、それは楽しみです。

 

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文化を守る人、受け継ごうとする人

入れ替わりで、川尻さんの父親、弘さんがやってきて窯の前にどっかりと座ります。

川尻さんからは若手ならではの力強く鋭いオーラを感じますが、弘さんにはベテランらしい揺るぎない重みがあります。それぞれ醸し出すオーラの種類は違うけど、にじみ出る安心感は通じるところ。そのうちきっと、川尻さんも弘さんみたいなオーラになっていくんだろうなあ。

 

どんどん夜が深くなっていきます。ここにいると、夜の気配もとても親密です。

 

弘さんは20歳の時に益子へ修行にやってきて、それ以来ずっとこの益子で、そして登り窯で焼き物を作っているそうです。さらにすごいのが、陶芸職人としてだけでなく、登り窯を作り、維持する窯師としても腕を振るっているところ。以前、川尻さんに聞いたのですが、登り窯を作れる職人は、今や日本にほとんどいないそうです。

 

「ちょうど私が益子に来た頃かな。多くの工房が薪を使う登り窯から灯油を使う窯に代えていった。それから4~5年するとガス窯が増えてきた。今では電気窯もあるからねえ。どんどん変わるけど、うちではずっと登り窯を使ってる。登り窯を使う職人がいなくなっちゃったから、今はもう登り窯を作ったりメンテナンスする職人もいなくてねえ」

 

すると、一緒に話を聞いていた崇志さんが言いました。

「今度、相馬に窯を作りに行くんですよね?」

 

「そう。相馬焼の窯をね。町の真ん中に作るから、いわゆる観光施設というかね。あの場所だと実際に火を入れるわけにはいかないだろうけど、いざ火を入れようと思ったら、ちゃんと使えるものをこさえとかないとだから」

 

「登り窯、ますます貴重になりますね」

「うん。でもね。たまーにいるんだよ。新しいのを作ってくれっていうのが。この前も若い職人さんのために、群馬まで行って作ってきたりしてさ」

 

そうか、窯師が少ないから、あちこちから声がかかるんですね。

 

「窯を作る時って、土はこっちから持っていくんですか?」と崇志さん。

 

「そうだねえ。土を篩(ふるい)にかけて、石が入ってない土を用意しないといけないから。今まではそれを手でやってたんだけど、篩の機械が見つかったんだ。本当は農業で使う機械なんだけど、篩に使えるから、それで作った土と道具を積んで持っていく」

 

そうか。土もその辺にある土ってわけにはいかないんだ。

 

「軽トラだから郡山から相馬に抜ける国道の山道がきついんだ」


そう言って弘さんは笑います。

 

さっき「20歳で益子に来て、50年以上やってる」と聞いたので、70歳過ぎになられるのでしょう。身体、大事にしてほしいなあ。とはいえ、頑張っていただかないと、登り窯自体が消えてしまうかもしれないし……。

      

 この後、弘さんと崇志さんは登り窯の番をしつつポツポツと話し込んでいたのですが、その姿がいい光景でした。弘さんは崇志さんがやっている農業の話を聞き、崇志さんは弘さんが守っている焼き物と登り窯について聞く。

傍目に見ても、崇志さんは弘さんを尊敬していることが分かります。そしてなんとなく、弘さんや川尻さんが続けている文化を守るために力になりたいという、そんな想いも伝わってきます。もちろん、だからこうやって火入れに手伝いに来るのでしょう。昼間は畑の収穫をやって、夜通し登り窯に薪を投げ込んで、翌朝は6時から麦の収穫なんて、なかなか出来るものじゃありません。

 

こういうのを、文化っていうんだな。

なにも大げさなものでなくて、続いてきた生活を誰かが受け継いでいくことが。

 

窯の番をする弘さんと崇志さん

カコン、とはいかない

 2人が話している様子を見つつ、少し自分も休憩しようと思いました。車の中で、1時間か1時間半、横になろう。

 そして戻ったら、薪を投げさせてもらおう。

 

 3時少し前、登り窯に戻ってくると、弘さんに代わって川尻さんが戻っていました。そして崇志さん。しかし彼はタフだな。

 

 「よかったら、薪を投げてみませんか?」

 

 3番目の窯の入り口に立って、川尻さんに投げ方を教わります。やること自体は薪を投げるだけなのですが、やはり投げ方が独特です。「4本入れてください」と言われ、1本目の薪を持って、後ろ目に登り窯の入り口を覗き込むと、そこはすっかり馴染みになったオレンジ。そこへ後ろ手にエイヤっと薪を投げるのですが……。

 飛びません。

 気持ちとしては窯の一番奥、“カコン”を目指して投げ込んだわけですが、真ん中近くまでしか飛んでくれません。

    あれ、ぜんぜん飛ばない。

    2本目を今度はもっと力を入れて投げるも、ほぼさっきと同じ場所に落ちたようです。あれ、ぜんぜんダメだ。しかもこのままじゃあ火の位置にムラがありすぎです。方向転換して3本目はもう少し手前、4本目はさらに手前と思ったのですが、なんせ感覚がよくつかめません。飛びすぎたり、手前すぎたり。薪を投げてみると、思った以上に登り窯の中の奥行きを感じます。

 

 「うわ。すみません、ぜんぜんダメです」

 「難しいですか? 均等に投げ込むのは、確かにコツが要るかもしれませんね」

 

 実は、しばらくして川尻さんに「薪、もう一度やりますか?」と言われたのですが、遠慮してしまいました。これは本番の火入れなわけです。先ほどの自分の“ヘタレ薪投げ”を思うと、万が一自分の薪で作品に影響が出たら……、とビビり、腰が引けてしまったわけです。

 どこかで少し練習したい気分だけど、そんな場所はないわな。

 

夜が終わり、“陶芸感”が変わる

 

  4時になりました。

 

 「あぁ。明るくなってきましたね」

 

 川尻さんにそう言われて外を見ると、ほんとだ。地平線の辺りが明るい。夏至直後の、1年でもっとも夜が短い時期。

 こんな早い時間に日が昇るんだ。

 

 そうか、夜が終わるんだな。

 夜、この夜が終わってしまうのが惜しい。

 

 

 とはいえ、そろそろ現実に戻らないといけない時間です。

    最後に挨拶をして、川尻さんの工房と益子を離れました。夜に始まり、日の出とともに終わる旅。ほぼ徹夜だけど気持ちが高ぶっているのでしょう、疲れはまったくありません。

 

 「これが終わると窯のメンテナンスとか、大量に用意しないといけない薪割りとか、やることはまだたくさんあります。でもやっぱり、焼き終わるとまた焼きたくなる。だから自分にとっては、2か月っていう火入れのサイクルがちょうどいいんです」

 

 最後に、川尻さんからそんな言葉を聞きました。交代しながらとはいえ、朝4時から始まって、24時間以上、30時間近くをかけて行われる火入れ。単純に素直に、そのスケールに感動しました。前回教えてもらった土作りの経験も踏まえて、自分の中で思っていた陶芸という作業の枠が一度取っ払われ、この一晩でぐわんと大きく広がったように感じます。

 

 「焼き物で轆轤の前に座る作業って、ほんの一部なんですよ」とは、以前唐津焼の岸田匡啓さんが言っていた言葉です。岸田さんも自分で土を作り、登り窯で焼く職人。もちろん岸田さんと川尻さんでは同じ登り窯の火入れと言っても、やり方は違うのかもしれません。でも、この日ここで登り窯の火入れに立ち会わせてもらい、その言葉の意味をあらためて実感できました。

 そしてこれを子どもの頃から見てきている。川尻さんの人柄も、きっとこの登り窯と火入れと無関係ではないはずです。

 

 あぁ、そういうことか。

 

 陶芸って、山や火と一緒に、自分の心身すべてを使って作るものなんだ。

 だから焼き物はまさに自然の一部で、自分そのものってことなんだな。

 

 

土から作り、焼き上げたビアカップで最高の一杯。川尻さん、一緒に過ごしたみなさん、ありがとうございました。
土から作り、焼き上げたビアカップで最高の一杯。川尻さん、一緒に過ごしたみなさん、ありがとうございました。

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