Vol.3 埼玉・都幾川 紙漉き体験と紆余曲折埼玉和紙のシンジツ 序章

2016.5.28

木香薫る和紙好みの町へ1  大竹一平


序章

北京埼玉県人会から高麗川問題を経て、小川町でなく都幾川にたどり着くまで

今回は埼玉の都幾川という山間の工房で和紙に触れ、紙漉きを体験させてもらいました。ただ序章はそこまでたどり着きません。それどころか都幾川にさえ着きません。上野の焼き鳥屋や神保町の韓国料理屋をウロウロして、雑多なことを感じたり考えたりで終わりです。



耳に残る「がんばれ比企郡トキガワ村!」


明日、都幾川に行くんだ。


と言われて、「そっか、埼玉のときがわ町へ行くんだ」と返せる人は恐らく少ないんじゃないかと思います。

都幾川と書いて、ときがわ、と読みます。まんまだけど、一瞬読みにくいですよね。

ときがわ町、2006年に都幾川村と玉川村が合併してできたそうです。


個人的には合併前の都幾川村という名前のほうが印象深いし、馴染みもあります。

たとえば、埼玉にあるFM局はNACK5(ナックファイブ、周波数が79.5MHZだからです)と言います。ラジオ好きで埼玉県民ならたいてい聴いているという、実は関東の有力FM局です。

その電波は、開局当初からしばらくは当時の浦和市(現さいたま市)の荒川近くにあった送信所から発信していたのですが、1998年のある日、当時の都幾川村にある山の峠へと移したんです。

たぶん山の上から発した方が、山がちな秩父を含めて、埼玉全域に電波がよく届くんでしょうね。


で、その開設の後、当時も今もNACK5で金曜日の朝9時から夕方6時まで生放送しているファンキーグレートDJ、小林克也さんが、番組中にかけている曲の合間に「がんばれ比企郡トキガワ村!」と絶叫していた声が、今でも妙に耳に残ってるんです。

だから、とても馴染みがあります。まあその程度ですけど。あとはたまにドライブで行ったり、トレッキングしたり。


ときがわ町は埼玉の西部にあって、小川町の西、秩父山地の東側に張り付く形に広がっていて、山を越えるともう秩父です。

と説明しても、やっぱり分かる人は少ないでしょう。

そう、埼玉ですから。

結果的に、前回の佐賀からの埼玉というツートップ攻撃になってしまいました。


ときがわ町はここ。

埼玉の西部、秩父に近い場所にあります。

(地図はときがわ町HPからお借りしました)

話は飛んで、北京埼玉県人会


話のきっかけはいつも個人的です。


あらためてになりますが、このブログは、伝統工芸の作品と作家をメインテーマに、旅の要素を加えた話にしようと思って書いています。(だらだらと)

将来的にはもう少し掘り下げて、さらにコンテンツを加えた形にして、電子雑誌にしたいと思っています。

さらにその雑誌は、できれば海外でも出したいとも思っています。

実は動機の一番最初はそっちで、「日本発、海外でも読まれる雑誌を作りたい」がスタートでした。


ただ、そのためにはなにをテーマに扱えばいいのか、それが浮かびません。

日本の人も外国の人も興味を持ちうる、日本オリジナルのテーマとは?

ファッション、サブカル、アニメはありだけど大手がとっくにやってて、もはや勝負にならないしーー。

そして、たまたまそんな時に外国で暮らし、そこで雑誌を作るという話が巡ってきます。

外国にもいろいろありますが、中国です。

でも深く考えずに、2004年の12月から2007年の1月にかけて、北京で暮らす日本人向けに、日本語の情報誌を編集するという仕事をしていました。


あの国には人それぞれいろいろな思いがあるでしょう。正直、人気のある国ではありません。でも意外かもしれませんが、暮らしてみた印象は、自由で楽しいところでした。

その間に、たまたま現地で「北京埼玉県人会」というのが発足したのを知り(2005年だったそうです)、埼玉出身の身として第1回の会合(飲み会)から参加してました。

帰国後はとんとご無沙汰していたのが、ありがたいことに去年の年末から再び連絡が入るようになり、この5月にも「北京埼玉ミニ県人会 In東京」というのに喜んで顔を出したんです。上野の焼き鳥屋へ。


その席でこのブログのことを紹介したところ、テーブルの右斜め向かいの席から「埼玉県人なら埼玉の伝統工芸を紹介してよ。小川町の和紙とかいいじゃない」との言葉が飛んできて、幹事が「私、小学生の時に体験学習で行った事がある!」と打ち返し、その勢いで「それなら紹介したらすべての埼玉県人会員へ一斉メールで告知するから」と。

じゃあ、前から気になっていた埼玉の和紙を見に行ってみようかなぁ。と、炭火と焼き鳥脂の煙りがモウモウと迫る中、ビールの酔いに任せて思ったわけです。


都幾川から、あの山を越えると秩父です。

和紙へと続く“高麗川問題”

埼玉にもそこそこ伝統工芸があるのですが、その中で小川町の和紙は、岩槻の雛人形や加須の鯉のぼりと同じく、わりと知られている、ほう、だと、思い、ます。

……。

ご存知でした?


なので今回も最初は小川町に行って、和紙を紹介しつつ、紙漉きを体験させていただこうかと思っていました。

が、そんなことをボケっと考えていたら、たまたま5月の中旬にいい話を聞きました。


また別の会合(飲み会です)で、今度は神保町の韓国料理屋です。そこで耳にした話が、子どもの頃から密かにひっかかっていた“高麗川問題”を、一瞬で洗い流してしてくれました。

しかも、埼玉の和紙に通じる話でもあります。

この高麗川(こまがわ)というのも埼玉にある地名で、都幾川から近い場所です。地名の通り、当時の高句麗、中国の東北地方から朝鮮半島にかけてを支配していた国、そこから招かれた渡来人たちが1300年前に移り住み、郡(国)を与えられたと言われている土地です。

ちょうど今年は建郡1300年らしく、となると、それは奈良時代の前、飛鳥時代の話です。


招いた先が埼玉の山で

疑問はここから始まります。当時(今回はやたらと“当時”を使いますね)、渡来人は大陸の文化や技術を伝える最先端の人たちだった。小学校の歴史授業でもそう習いました。

そこで抱いていたのが「外国から最先端の人たちをわざわざ招いておいて、なんで埼玉のあんな田舎に押しやったのか」という問題です。


地球が丸いかどうかも知らない当時、世界はまだ狭く「世界の中心は唐の都長安で、仏教は天竺とかいう西方から来たらしいけど、あと他には朝鮮があるよね」ぐらいの世界観だったでしょう。だから海の向こうの日本と言えば辺境も辺境です。

今でこそ、高麗川は池袋から電車で1時間ちょっと、東京郊外のベッドタウンです。

でも当時は、都のある飛鳥地方からだとおそらく徒歩2週間、しかも着いたら人のいない山の中です。


普通、最先端のイケてる人たちなら、政府として都に住ませるでしょう。飛鳥の六本木的な場所に。

「え! 来てくれっつうから延々船乗って歩いて高句麗から日本まで来たのに、住むのこんな山ん中とかおかしくね?? ふつう都じゃね???」

とか言われても無理はありません。


でも、そこで聞いた話では、それが逆に配慮だったそうです。

話してくださった方は高麗川の建郡1300年に関して、地元から記念事業の広報を頼まれたほどで、ようは詳しく調査している人なのですが、こんな見解を教えてくれました。


「高句麗から来たのは最先端の人たちとは言え、日本に渡ってきた外国人、それより前からそこに住んでるいわゆる日本人と軋轢を起こすことなく、穏やかに暮らしながら文化と技術を日本に伝えてもらうべく、飛鳥政府はあえて人が住んでいない場所を探し、高句麗の人たちが自由にやれるよう、そして日本人と徐々に馴染めるような距離感の土地を郡として与えた」


確かに、外国人だもんなあ。言葉も違うだろうし。確かにそのほうがお互い暮らしやすいか。それに高麗川の辺りは水も豊かだし、当時はなにを作るにしても欠かせない材料かつ燃料でもあった森林資源も豊富だし。

そうだよなあ。


んー。


でもまあ、当時の日本なら、そんな場所ぐらい関西にだってあったんじゃないかしら…。


それでもこの説はとても新鮮だったし、定住を前提に招いた人たちへの最高の気配りとも思えたので、霧が晴れたと同時になんだか温かい気持ちになったのは確かです。


絹も鉄も紙も“コマバレー”

まあとにかく、そんな風にして渡来人が暮らすようになり、高麗川を中心にして一帯はハイテク地帯になっていきます。

まだ日本にはなかったり、大陸に比べると遅れていたりといった技術の最新版がどんどん伝わり、一円に広まっていきます。埼玉だけでなく関東、武蔵で起きた最初の産業革命ですね。今なら“コマバレー”とか言われていたに違いありません。

実際、あの辺には深い谷もあるし。

製鉄、磁器、養蚕と絹織物、稲作、もちろん紙もそうだったようです。

しかし紙ってすごいです。千年前の記録も普通に残しているんですから。今いくらクラウドと言っても、そこに蓄積された情報は一千年先まで残っているでしょうか?

20年前に普通だったフロッピーディスクドライブさえ、もはや見かけません。


というわけで、ようやく都幾川の和紙にたどり着きました。

つまり、今では小川町の和紙と言われていますが、どうやら元々は高麗川を中心に都幾川、小川町、また八王子、立川あたりまで、紙の原料となる楮(こうぞ)という植物があって、水が豊かな山沿い、関東平野の縁でベルト地帯的に作られていたようなのです。

その中でさらに調べると、東秩父、小川町、都幾川で、和紙の中でも質の高い紙と言われる「細川紙」を作っていることを知りました。細川紙はユネスコの無形文化遺産にも登録されたそうです。

そんな中で、「手漉き和紙 たにの」という工房のHP( http://monme.net/ )がなんだかモノクロでかっこいい。

ここしかない。

行き先は都幾川にある工房「手漉き和紙 たにの」に決めました。

次の回でようやく都幾川へ行き、

前回の佐賀に続き、またうどんを食べます。

そしてさらに進んで工房に着き、

そのたたずまいにびっくりしたり、

ワクワクしたりします。