2016.5.28
木香薫る和紙好みの町へ4 大竹一平
無事に紙漉き体験を終え、“作品”(と呼ぶのもこっ恥ずかしいですが)は2日ほど天日干しで乾かしてもらいます。そのあとの郵送手続きをしに、2階の事務所へ上がります。しかし結果的に、そこでまた長居してしまいました。
ベテランと若手、それぞれの職人から興味深い話が始まってしまったので。
紙漉き体験を終えました。
時計を見ると、かかったのはたった30分ほどだったことが分かります。あっという間のような長かったような、そんな30分でした。
まだ水分をたっぷり含んでいる6枚のハガキを天日で干して乾燥させ、出来上がりを郵送で送ってもらいます。
「手漉き和紙 たにの」の建物は2階建で、1階が紙漉き作業をする場、2階は事務所兼作品ストック置き場兼その他の作業場といった作りです。上がっていくとすぐに裕子さんが「あぁ出来た? じゃあここに座って住所を書いて」と空いた椅子をすすめてくれます。
大きなテーブルでは裕子さんの他に、堀口由乃さん、内藤愛美さんの若い職人2人が作業をしていました。
「都内にある自動車ディーラーの内装、壁紙に使う揉み紙を作ってもらってるの。あとで2人からも話を聞くといいわ」
揉み紙という通り、堀口さんも内藤さんも、畳一畳ぐらいはありそうな和紙を両手で揉んでいます。
「よくそういう紙見ますけど、ほんとに手で揉むんですね」
「そう。ほんとはそのための機械もあるんだけどね」
裕子さんがそう言って笑うと、
「え! 機械あるんですか⁈」
堀口さんが目を丸くしています。この日は朝からずっと紙を揉んでいたのかもしれません。
「あるわよ。でも2人は自分の手でいろいろやってみたほうが勉強になるでしょ」
「あったんだ…」
裕子さんと堀口さんは伝統工芸士と修行中の若手作家の関係にあたるわけですが、ここではわりとフランクにモノを言える環境のようです。
住所を書き終えて、お忙しいのかなと思いつつ、せっかく隣に裕子さんが座っているので、いろいろ聞いてみたくなりました。
「あの、細川紙って、なんでそういう名前なんですか? 細川さんが始めたわけじゃないですよね?」
思えばレベルの低い質問ですが、恥ずかしながらそんな大事なことを調べていなかったのでした。
すると、逆に待ってましたと言わんばかりに、「はい」と頷いてお話が始まります。
「もともとこの辺は、1300年前に高麗川に渡ってきた渡来人のおかげで、色々な技術が豊富にある地域でした」
お!始まりはやはり“高麗川問題”です。
「高麗川の辺りを日高地方って言うんだけど、日高地方からこの都幾川、小川、山を越えて秩父の辺りまで、たくさんの技術が伝わってきたの。紙もそうだし、鉄、焼き物、木工、養蚕、絹織物、そして稲作も」
この辺りの話も、神保町で耳にしたのとまったく同じです。身震いがする思いでした。
「だからこの辺一体はもともと長い歴史を持つ伝統工芸がたくさんあったし、技術的には豊かな土地なの。紙の話をすると、今ここで作っている質の高い紙は細川紙という名前の紙です。細川紙はもともとは紀州(和歌山)細川村が発祥なんだけど、今現地ではだいぶ下降気味になってしまっていて、もう和歌山ではほとんど作られてない。じゃあなんでその細川紙がこの埼玉で作られてるかってことなんだけど…」
一息おいて、
「これがなかなか難しいのよ」と苦笑いします。
「さっきも言ったように、この辺りは1300年前近くから紙を作ってきた。それが江戸時代に入って、都幾川辺りの誰かが和歌山の細川紙の工房に修行に出て、習得して技術を持ち帰って伝わりました、というのが公式の話。NHKラジオの『ラジオ深夜便』という番組で話す機会をいただいたんだけど、そこでしゃべったのはこういう話。でもどうもこの話、眉唾だと思うのよ」
眉唾!
確かに、なにかの発祥を探ると、たいていこの手のそれらしい話が残っています。ただその多くは江戸時代や室町時代の「そうだったらしい」という伝承がもとの話、本当かどうかはもはや誰も知りません。当時の貧しいイチ農家がなにをしてなにを伝えたかなんて、文献だってなかなか残っていません。
なんだか面白くなってきました。
「どうも、江戸時代に入ってからなんだけど、江戸に幕府が開かれてやっぱり書類を作るのに大量の紙が必要になったようなの。質が低くて安いものから質の高い高価なものまで様々な紙が。この辺り、紙は作っていたからその辺にも対応してはいたんだけど、都幾川に限らず関東の紙は中級から下の質の紙を作って商人に卸して、高級紙は美濃和紙とか京都の黒谷和紙、そして紀州細川紙とか、遠い産地のを江戸まで持ってきていたそうなの。しばらくそうしているうちに、ある商人が都幾川や小川の紙職人の器用さに目をつけて、この辺の職人に細川紙の作り方を教えて作らせるようになった。細川紙として」
へー。「今でいうOEMですね」
「そう、OEM。ただ違うのは、本場の細川紙として売ってたのよ」
あー。そうなると産地偽装ですね…。
「そうなの。ほら、紀州で作ったのを江戸まで持ってくるのは大変でしょ? それを江戸から近い武蔵の都幾川で作って持って来れば楽だし、それを細川紙として売れば当然高く売れるし、運ぶ距離が短い分儲けもより大きいでしょ? だからその商人としては、都幾川産の細川紙とは言わなかった。幸か不幸か職人は器用だし、質は本場の細川紙なのよ。でもそんな本当のこと言ったら他の商人も押し寄せてきて、一気に価格破壊が起きちゃうでしょ?」
「本当の産地を語れないって、埼玉的な悲劇ですねぇ」
いやぁ。エグい話で、ありそうな話です。
レベルはまったく違いますが、僕は埼玉以外で「出身はどこ?」と聞かれた時、本当は白岡町(今は市になったそうです)出身なのに、「埼玉の大宮です」と名乗ることが多いです。これを埼玉的な見栄と言う人もいますが、違います。どうせ本当の地名を言っても相手に分かってもらえないし、周辺も無名の地ばかりなので、具体的に説明するのがまた面倒くさいからです。「蓮田の隣、菖蒲の下です」と言っても、どっちも知らないでしょ?
そんなことない??
話を戻しましょう。
「そう! 埼玉的な悲劇。でもさすがに時代が進むうちにいつまでもそんなことは言ってられなくなって、今では都幾川の特産品として細川紙があると」
うわぁ。なんだか身構える間もなく、都幾川和紙の真実を知ってしまいました。
ため息。
山の空気そのままの清涼で爽やかな風が、工房の窓から入ってきます。
もちろん、「本当はどうなのか」は分からないと思います。公式の話通りなのかもしれないし、裕子さんの話のほうが近いのかもしれないし。ポッとその辺の文献が出てきたら面白いですね。
そんな話をしていると、谷野さんたちの和紙を使って、ウチワを作るという会社の方が打ち合わせにいらっしゃいました。同じ部屋の同じテーブルに座ったまま、裕子さんはそっちの打ち合わせに入ります。
部外者がいる前で販売前のいわば開発品のやりとりが始まってしまったのも、今思えばすごい話です。もちろん、聞いたところでけっして真似して作ることはできないので、問題ないのですが。話の流れで僭越ながらちょっとだけ、意見させてもらったりもして…。
裕子さんがウチワの打ち合わせに入ってしまったので、しばらく堀口さんと内藤さんの揉み紙作業を眺めていました。この工房の雰囲気的に、もしかしたらこういった状況は珍しくないのかもしれません。けど、突然の部外者(僕ですけど)が、こうやってすぐ隣で見ているのは、作業する本人たちからしたらやりにくいんだろうなと思います。すみません。
でもそのうち、なすすべのない傍観者(僕です)を憐れに思ったのか、若き職人さんの1人、堀口さんが話しかけてきてくれました。気を遣わせて申し訳ないです。
「和紙に興味があるんですか?」
「そうですね。和紙もそうだけど、伝統工芸全般なんです」
話を聞き進めていくと、なるほどねぇ。この世界でやって行く、その前に入って行く難しさが少し分かりました。
「京都に伝統工芸を専門にする大学があるんです。京都伝統工芸大学校っていうんですけど。私はそこの和紙工芸専攻を出たんです」
その大学は名前だけは聞いたことがあって、京都らしい学校だなあと思ってました。
「大学の和紙専攻は、京都なので黒谷和紙の工房に入って学ぶんですけど、就職しようと思うと黒谷でもなかなか若手を採れるような工房はないんです。だから私もあちこち探してようやく、今ここで仕事させてもらっています。ほんとに厳しくて。大学でがんばって勉強しても、就職できないから結局は伝統工芸と関係ない仕事に進む人も多いです」
やっぱりそうなっちゃうんだなぁ。
「たとえば京都で和紙を勉強してきて、都幾川辺りに来ると紙の違いを感じるものなんですか?」
「紙の違いというか…。ここに来て思ったのは、この辺りで作られている紙って、作る職人さんによって質の差が激しいんですよね。私なんかが見ても、え、これでいいの?って思うこともあります」
またすごいこと聞いちゃいました。堀口さんは大学を卒業してまだ1年だそうです。
逆に質問もされました。
「伝統工芸って、今までどんなもの見てきたんですか?」
「唐津の焼き物とか、金沢の金工とか、あといわゆる伝統工芸とは少し違うかもしれないけど、東京千駄木の飴細工とか」
「へー。そういうことができたら面白いだろうな。でもたしかに飴細工って伝統工芸とは少し違いますよね。食べたらなくなっちゃうし…」
「そうなんですけどね。でも長く受け継がれてきた技術だし、そういう意味で伝統工芸だと思うんですよ。似た感じで日本酒とか焼酎の酒蔵にも行ってみたいんですけどね」
「あー。たしかに。ずっと続いてきた技術ですもんね。私なんか紙のことしか知らないから…」
「でも職人さんと会って思うのは、1つのことをずっと見てきた結果、逆にそこから色々なものが見えるみたいで、すごく視野が広い人が多いから、話を聞いてて楽しい人が多いですよ」
「楽しいというか、変な人が多いですよね(笑)。紙を作っていても、同じ紙でも産地とか作る人、素材の違いなんかでほんの少しずつ違うんです。だからほんの小さな違いに気づくようにはなるんです。私も視野の広い職人になれるかなぁ」
「なってください!」
いや、きっとなれます。さっきの裕子さんとの物怖じしないやりとり、都幾川の紙についての核心的な意見。研究熱心で好奇心豊富、それに本人が意識しているかどうかは分かりませんが、気持ちの奥にある自信。それがなければそんなことは言えません。きっと視野の広い、面白い職人さんになるに違いないです。
そろそろ時間です。山を下りて自転車を返さないといけません。
何度もお礼を行って、工房を後にしました。
深く考えず、ただ埼玉の伝統工芸と思い、和紙を求めて都幾川に来ました。紙漉きの体験は貴重だったし、単純に見える作業ほど奥が深いということをあらためて実感しました。
加えて2階で聞いた話はびっくりするほど興味深く、埼玉はやっぱり大昔から埼玉なんだなぁと、呆れるような納得なような。
歴史が始まった頃には日本でもっとも進んだ技術を持っていたのに、結果的にはそれを活かして有力産地になることはなく。技術を地味に真面目に繋げてはきたけど、ブレイクしたのは江戸商人のアイデアによる他地域の名品のコピーから。
でもここでその話を聞いたおかげで、都幾川やこの辺一帯の伝統工芸が、むしろとても愛おしく感じられるようになりました。シンパシーってやつです。
そしてもう1つ、最近自分の中で湧いてきていた疑問に、ヒントをもらった気がします。
「伝統工芸」と「民芸」の違いってなんだ?という問題です。
もちろん、まだ答えは出ません。
近いし、また週末に遊びに来よう。そして他の民芸的伝統工芸に触れてみよう。