Vol.5 京都 仏師に会いに行く1

旅編 河原町周辺を歩いて静かに京都を考える

2016.8.21

京都の奥行にあらためて脱帽  大竹一平

京都です。

今年春、京都であるお茶会があると知り、お茶の世界などまったく知らないのに、参加させていただきました。

その主催者の1人が、仏像を彫る人、仏師さんでした。

貴重で素敵な出会いの春を経て、ボケっとしているうちに夏も終わりに近づいて来た頃、「もう一度、仏師さんに会いたい」。

思い続けていた気持ちのままに、連絡を取りました。

仏師さんの、京都の、その仕事場を見たい。

そしてできれば、短い時間が許す限り、京都を歩いてみよう。

というわけで、今回もブログの1回目では仏師さんにはたどり着きません。

まずは夏の終わりの京都を、暑さに負けずに満喫します。


きっかけはインスタ茶会

今回は京都です。
今年の春、ちょうど桜が咲く頃に京都の無鄰菴(明治維新の功労者、山県有朋の別荘だった建物と庭園だそうです)で、お茶の世界に心得がないような人でも参加できるお茶会が開かれることを知り、参加を申し込みました。
その時の話は以前のブログを見ていただきたいのですが、主催者の1人がBukkouさんと言って、京都で仏像を彫っている方でした。実はそのお茶会自体がその名も「インスタ茶会」、インスタグラムで告知をされていて、なんとなく緩く間口の広い雰囲気を感じられたので、わりと軽い気持ちで参加できたというのもあります。
お茶、まったく知らないんですけど興味はあったので。ただもちろん、当日お点前をしていただいたのはしっかりした“本気茶会”の方々で、そこでタジタジとしてしまったのも確かです。

それはともかく、あらためてネット上を調べると、Bukkouさんはかなり発信をしてらっしゃる。しっかりしたHPとブログを持っているし、最近はインスタグラムもかなり積極的なよう。そして自分の無知を恥じるばかりながら、その時にBukkouさんは仏像を彫る職人で、そういった仕事をしている人を「仏師」と呼ぶことも知りました。

へー!
と思いましたね。
その一拍か二拍あとに、
……うかつだったなあ。
とも。

だってほら。仏像って、新作が出てるんですね。

それまでの思い込みの世界では、仏像というとお寺に古くから鎮座しているもので、作られたのは平安時代や鎌倉時代、せいぜい江戸時代ぐらいまでなんだろうと。
でも考えてみれば、今の時代に新しい仏像が生まれていたって不思議はないわけです。音楽の世界だって、“クラッシックの新曲”があるんだから。
例えが違うかな。

春の「インスタお茶会」の写真、左は向かう途中の白川で、真ん中は無鄰菴の庭園、右がお茶会でいただいたお茶とお菓子

お茶会に浮かれて平常心でいられなかったせいで、お茶とお菓子がうまく撮れてません

仏師という仕事

その後、うろうろと考え事をしているうちに桜の季節から夏の終わりへと進み、ある日、ずっと思っていたことを思い切ってBukkouさんにお願いしてみました。
「もしよければ、仕事場にお邪魔させてもらえませんか?」
仏師、木を彫って仏の姿をこの世に表す仕事です。その仕事の流れはBukkouさんのHP( http://bukkou.com/ )にあって見られるものの、実際の作業場の空気に触れてみたかった。
昔、 小学校の歴史の授業で教わった記憶によれば、仏教が日本に渡ってきたのは西暦538年。それ以来、この国では脈々と仏像が彫られてきたはずです。仏教が日本に来てしばらくの間はきっとけっこうな数の外国人や渡来人の仏師の手で、そして当時も今も日本人が彫り続けているわけです。
でも、今この日本に仏師が何人いるんだろう?
感覚的にはざっと1000人いるかどうかか?
どんな世界なんだろう?

突然のお願いに、「私の職場でよろしければ」というありがたいお返事をいただきました。
お会いし話を聞いて驚いたのですが、今回、こんな自分がお願いするまで、見学は基本的に断っていたそうです。
確かに観光施設でもなんでもない純粋な仕事場だし、特に今回はご自宅にご招待いただいたので、知らない人を呼ぶのは確かに勇気がいりますよね。

 

京都、おそらく日本で一番なんでもアリな街

約束の時間は日曜日の夕方、せっかくなので昼前に京都に着いて、歩くことにします。
京都にはこれまでに何度か来ていて、もちろん最初は中学校の修学旅行でした(奈良と京都)。ただ修学旅行以後(高校のは広島と2回目の京都)、京都に来る機会がすべて仕事がらみだったので、ゆっくりと歩いたことがなく、土地勘もかなり薄いです。
そんな中、春に来たときに阪急の駅がある河原町のあたりがまず、面白そうだなと思っていました。
表通りにはデパートやハイブランドの路面店、お土産屋があって、繁華街として賑やかなのに、一歩裏通りに入れば雰囲気のある路地がたくさん。駅からすぐ、鴨川にかかる四条大橋に立てばいかにも祇園といった風情があるうえ、その橋を渡って東山に向かう白川沿いは、京都にしかない空気が流れる桜並木の小路です。
食、ファッション、最新の文化と古い文化、歴史、そしてたくさんの国籍の人たち。こんな狭い地域で、気まぐれに歩くだけでこれだけ豊かな世界と視点を感じられるのは、日本ではおそらく京都ならではでしょう。

というか、京都は大人になってから来たほうが、絶対におもしろいんじゃないかと。

今回も朝の飛行機で羽田から伊丹へ行き、そこからモノレールと阪急電車を乗り継いで河原町へ向かいました。阪急の焦げ茶色の電車に乗ると、関西に来た感じがしますね。『阪急電車』、好きな映画の1つです。

羽田を飛び立ってすぐに横浜が、そのあと雲に囲まれつつも富士山がきっちり見送ってくれました

     しかしこうやって見ると、もう秋の空です


河原町の辺りを歩いてみる

河原町駅に着き、終着駅にしては小さな地下駅から地上に出ると、暑い。
天気はいいけど、本当に暑い。一瞬で暑い。これが噂に聞く夏の京都の暑さなんだ。街を歩く人たちからも、すれ違いざまに「暑い…」という言葉がたびたび耳に入ってきます。ただやはり京都は山が近いせいか、東京に比べても空の青さはピカイチで、空気は清浄感たっぷり。個人的には気分上々です。
とりあえず、思うがままに歩きます。

へー。やっぱりなんだか楽しい街です。
あ、ここが錦市場なんだ、とか、
なんか鳥料理の店が多いな、とか、
女性はもちろんだけど、男でも浴衣率が高いな、とか、
あそっか、浴衣のレンタル衣装屋がけっこうあるんだ、とか、
あれ、浴衣の着こなしが綺麗だから日本人かと思ったら中国語を話してるや、とか、
河原に立つと風が気持ちいいや、とかとか。

賑やかな四条通りやその裏、先斗町(ぽんとちょう、おもしろい地名ですよね)のあたりを歩いていると、京都には新と旧、とにかくなんでもある街なんだと分かります。この一角だと歴史ある建物といっても明治維新から昭和が多いのでしょうか、京都の中ではわりと新しい場所なのかもしれません。
それはそれとして、そろそろ昼ごはんにしたいなあ。

鴨川にかかる四条大橋から 。川辺のお店には納涼の川床が出てます
鴨川にかかる四条大橋から 。川辺のお店には納涼の川床が出てます
四条大橋を渡って白川へ 。THE京都
四条大橋を渡って白川へ 。THE京都

 

 

錦天満宮から、食べ歩きが楽しく賑やかな錦市場方向

錦天満宮は菅原道真を祀り、学業と商売繁盛に御利益があるそうなので、

とりあえずお参りをします

新京極の宿り木、スタンド

実はこの前、春に来たときに新京極商店街のアーケード街に「スタンド」という店を見かけて、その昭和感満点の店構えが気になっていました。
その時は寄れなかったのですが、帰って調べてみるとやはり有名店で、1人でふらっと入っても許される匂いを感じました。しかも、食べログなんかを見るとランチの定食が魅力的です。いろいろな人が食べているハンバーグとミンチカツなんかが入った日替り定食、それに自分ならビールなどをつけたらいいじゃないかと。
大切な仏師に、その仕事場で特別に会わせていただくとか言ってるわりにビールかよ、とも思いますが、でもやっぱり遠くまで来たんだし、なんせ暑いし、京都だし、そこは一杯ぐらいは、ねえ。
ハンバーグとビールって、個人的には最高です。それが昼間ならなおよし。
先斗町のあたりから、汗を吹き拭きいったん河原町駅まで戻って、新京極の商店街に入ると、覚えのとおりすぐにありました。

え、でも。店の前に置かれた看板を見ると、今日は定食がないそうです。
あ、どうやら週末は定食をやってないようです。
うー…。
ないんだ……。
日替わり定食………。
まあでも入りました。なんせ暑かったし、一休みしたかったので。

店に入ると、右側には向かい合って座る長い長いカウンターというか、カウンター的長テーブルが1台、左側にはテーブルが何台かあります。そしてほぼ満席で、混み合うカウンターで唯一空いていた空間に収まりました。お客さんたちはめいめいテレビを見たり新聞を眺めたり雑談したりしつつ、ビールや酎ハイなどをユルユルといった風情で楽しんでいます。
あー。いいなあ。これ。こういう雰囲気も好きです。この感じは東京だと赤羽か? いや浅草か。どっちでもいいや。やっぱ京都にはなんでもあるんだ。
ハムカツと鰻の肝焼きなどをつまみながらビール。ちょっと一息です。

 

京都に抱いていた、もやもやとした感情

実は、の話をすると、個人的に、こうやってこの春とこの夏に来るまで、少し京都に先入観というか、「正直、京都って近寄りがたいなあ」といった印象が先立っていました。「どうせ受け入れてもらえないんだろうなあ」という感じでしょうか。なんというか、これまでたまに知り合った京都人と話をしても、なんかめんどくさいというか、なんか少し違うよなあと。
京都人は日本の歴史の中での京都のポジションを、無意識に意識している人たちが多いような気がして。ようはちょっとハナにつく人が多い印象だったんです。
「京都がなければ、お前らの今はないわけだ」みたいな。
まあ知り合った人たちが悪かったんでしょう(もちろんなかにはいい人もいたけど)。
だけど実際に京都を歩いてみると、その辺の話は別にしてやっぱり楽しい街だなあ。と。そしてスタンドの、肩が触れ合いそうなカウンターに両肘をのせて一息ついて、「あれ。おれ、もしかしたらここに馴染んでる?」とも。
新京極の街のグルーブを感じる「スタンド」に座りながら、ボケっとそんなことを思っている自分に、実は自分自身がびっくりしていました。
思えば、勝手に抱いていた京都人の印象は、東京以外の人が東京人に抱く先入観と似たようなもの、なのかもしれません。僕なんかは今は東京に住んでいるけど、出は所詮の埼玉人です。でも旅先で「どこから来たの」と聞かれて「東京から来ました」って言うと、少し微妙な空気になることもたまにあるので。
でも、今回来てみてよかったことの1つは、そういった変にひねくれた感覚が、このスタンドと、そしてなによりこの後会う京都の人たちと過ごす時間で、気持ち良いくらいに覆り、京都がどんどん居心地のいい街に変わっていきます。

というわけで、今回も長くなってしまいました。
この話の本題、仏師の Bukkouさんに会う話は、次回に続きます。

店内で写真は遠慮しました
スタンドでビールを一杯だけ飲んで、ぼけっと京都と自分の色々を考えてました