Vol.5 京都 仏師に会いに行く2

仏師に会い、木工体験をする編

2016.9.12
ココ師匠のおかげです  大竹一平

京都へ仏師に会いに行く続きです。
ようやく仏師、Bukkouさんと合流します。
Bukkouさんは仕事として仏像を彫っている方で、職場とは別にご自宅にアトリエがあり、今回はそこへお邪魔します。

そしてなんと、彫刻刀を借りてヒノキを削る木工体験をさせていただく流れになりました。

 


なぜか琴線に触れる白川

 新京極商店街にある「スタンド」というお店で昼ごはんにして、そろそろBukkouさんとの待ち合わせ場所、東山へ移動します。
 河原町の辺りから東山だと、地元の方なら路線バスらしいのですが、やはり旅行者には地下鉄のほうが分かりやすい感じです。
 でも、地下鉄にも乗らず、歩いていくことにしました。スタンドで時計を見ると午後2時、約束の時間までまだ余裕あるし。
 今年の春に無鄰菴でのインスタお茶会に参加した時にたまたま知ったのですが、新京極からすぐ、澄んで冷たそうな流れの豊かな鴨川に架かる四条大橋を渡ると、 白川、これも澄んでいるけど京都の生活を感じられる小川に出ます。そして前回の季節は白川沿いの桜並木が満開で、思わず感動してしまったんです。

 正 直、年齢を重ねてきて、景色を見て感動するなんて経験はだんだん減ってきてます。20代、体も頭もピチピチパチパチ、火花が散るぐらいの頃は、なにを見て も感動していました。男なので「わー」とか「きゃー」とか言わないし、見た目では分からないかもしれないけど、自分の中では感動していました。
 そ してその経験が積み重なるにつれ、やがてピチピチパチパチしてた頃の景色があまりに強烈に自分自身に染み付いてしまっているんだと気がつきます。初めて見 る景色を前にして、感動する一瞬前に、かつて目にした「あの時のあの景色」を思い出して感動の邪魔をすることが増えています。

 で も、春の白川は瞬間的に純粋に感動してしまいました。もちろん「わー」も「きゃー」も言わないですけど。1人だし。思えばこれだけ王道的な観光地で感動し たのも久しぶりです。だからこそ印象として強烈で、好きな景色の1つになったので、今回は夏になったあの道を歩いてみたいな、と。
 た だ不思議なうえに困ったことに、いい景色には忘れていた感情を思い出させる効果があるんですかね? 白川沿いを歩きながら、(詳細は省きますが)いろいろな思い出と感情が “☆☆☆” や “✖︎✖︎✖︎” 的にあちこちから湧いてきて困りつつ、いったん平安神宮まで出ます。平安神宮、その広大な境内に白川の時とは違った驚きを感じながら参拝して、また暑さに 参りって峯嵐堂というお店でとろけるようなわらびもちをいただいて力を取り戻すと、いい時間になりました。

 

なぜかいろいろな記憶がどんどん蘇ってくる白川

広大な敷地の平安神宮

この広さと勢いは、京都というより奈良っぽいような

 

平安神宮と岡崎公園の周りを流れる琵琶湖疎水。水が穏やかに流れている風景が好きです。
平安神宮と岡崎公園の周りを流れる琵琶湖疎水。水が穏やかに流れている風景が好きです。

仏師になるきっかけ

 待ち合わせ場所に着くと、ふいに甚平姿の人が歩いてきました。Bukkouさんです。
 西陽が射し始める時間になってもまだたっぷり暑さが残っていたのですが、 Bukkouさんの周りだけ涼し気な空気が流れているようです。大人だなあ。
 数分歩いてご自宅のアトリエにお邪魔します。道すがら聞くと、今日はインスタお茶会つながりで、無鄰菴でお点前していただいたnorikoさんもいらっしゃるそう。なんだか楽しくなりそうです。

 ご自宅のリビングでお茶をいただくとすぐにnorikoさんも合流したので、しばらくよもやま話。
 Bukkou さんは仏像を彫るようになって20年だそうです。話を聞いていると、そもそもお父さんが京友禅の染物職人で、友禅染に限らず森羅万象に知識の奥行きと幅が広い方 なよう。Bukkouさん自身の口からは出ませんでしたが、おそらく小さい頃から “基礎体力” としてそういう “なにか伝統工芸的なもの” が日々染み込んでいったんではないかと思えます。
 ただBukkouさんは染物の職人さんになることもなく、ご本人曰く「なにをやりたいのか分からないまま」、まだ10代後半だった頃に仏像に興味を持ったそうです。そして師匠となる方のワークショップのようなものに参加したのが、今に至るきっかけであると。

 へー。そんな風にして、仏師になるんだなあ。

 た とえば自分の人生を振り返ると、実は伝統工芸の世界に興味を持ったのはせいぜい最近の話です。なにをやりたいのか分からなかった学生時代は同じですが、そ こで伝統工芸に触れる機会なんてありませんでした。それは僕が生活した環境にそんな空気がなかったからかもしれないし、いま思えば、むしろあったのに見過 ごしていたんでしょう。
 アンテナの張り方、かな。
 Bukkouさんに限らず、これまでにお会いした伝統工芸の職人、たとえば若手と言われる30から40歳代前半の方々に聞くと、20歳代のまだ若い時分に伝統工芸に触れ、心の奥に響くものがあって今に至ったという話を聞きます。
 そう考えると、まだまだ日本各地に歴史や伝統工芸を紡ぐ環境や空気はあるんでしょうね。そして、中でもやはり京都はその色が濃い。駅からここまで30分歩くだけでも、そう感じるので。

 

どこから見ても仏像らしく

 さて、いよいよ2階のアトリエに上がっていきます。
 うわあ。
 畳敷きの部屋に風呂敷のような大きな布が一枚、結界のように広げられてあり、 そこに作業用の小机や彫刻刀を砥ぐための研ぎ石と水の張られた木桶、そして木箱には本当にたくさんの彫刻刀が並んでいます。ざっと30本はあるでしょう か。それぞれ微妙に刃の形や大きさが違います。

 「彫刻刀、すごい数ですね」
 「そうですね。でもこれでも職人の中では少ない方ですよ」
 「研ぎ石も何種類か使うんですね」
 「目の荒さの違いで使い分けます。鳴滝砥石といって、2億年前のプランクトンが堆積してできた石で、京都と滋賀のごく一部でしかとれない貴重な石だそうです」

 もちろん今では人工的に作られた砥石もしっかりしたものがあるそうです。でも、それでもなお天然の砥石はなかなかへたらないうえに、最後まで安定して砥げる良さがあるそうです。
 思うに、京都の文化と伝統工芸がこれだけ豊かな理由は、1つは歴史を通して日本各地から人が集まったから、というのはあるでしょう。
 も う1つ思うのは、京都にはこの鳴滝砥石のように砥石に適した石が自然の中からとれたり、焼き物に適した粘土質の土がとれたり、木工や炭を焼くのに欠かせな い木材、そして水が豊かだったりと、数億年単位の時間を経て偶然で生まれた産物も含めて、自然が豊かで天然資源が豊かなこともありそうです。豊富な人材と 素材、ある意味最強の組み合わせが生まれてしまったわけです。

 棚には制作途中の作品や、BukkouさんがHPで仏像の制作工程を解説するために作った仏像の寄木細工が並び、手のひらのパーツも見られます。

 「たとえば手のひらのパーツを彫る時って、自分の手を見本にしたりするんですか?」
 「いや。人間の手を見本にするとリアルすぎてしまって、仏像らしくなくなってしまうんですよ。よく赤ちゃんの手を見本にすると言うんですけどね」
 「赤ちゃんの手ですか」
 「仏 像も時代によって形に流行のようなものはあって、平安時代には繊細で優美な形が好まれたのが、鎌倉時代に入ると彫りが深くて胸板もしっかりしたような形が 好まれたりしています。たとえば仏像の左右も対称にするのか非対称にするのか、現代の職人の間でも好みはいろいろとあります。その中で、自分自身で仏像を 彫る時に一番注意するのは、“どこから見ても仏像らしくあること” です。仏像の美しさが、そこにあるような気がします」

 どこから見ても仏像らしい形。仏像らしい美しさ。今まで仏像が仏像なのは当たり前だと思っていました。でも、今日話を聞いていて、制作途中の仏像を見ていて、仏像らしい形、また仏像らしい美しさに、少し気づきました。
 たとえば、確かに言われてみれば、仏像の手のひらと指って、スッと伸びているように見えて少しコロンとしたかわいさというか、優しさがあります。
 仏像とリアルな人間像は違うんだ。なるほどねえ。

 

 「ちなみにBukkouさんは左右対称と非対称、どちらが好みですか?」
 「対称に作るのは非常に高い技術が必要ですし、シンメトリーの美しさがあるのは分かります。ただ、人間の顔も左右対称という人はいないですよね。そう考えると、非対称のほうが自然な気はします」

 

 人をモチーフにする故のリアリティと、仏の姿を形にするという美意識、そのバランスをどうとるかで、職人の考え方が見えてくるのかもしれません。仏像の見方が広がった気がします。

 

思いがけず、久々に彫刻刀

 仏師の仕事場の雰囲気に少しずつ慣れながら、またBukkouさんも初めて招き入れる客に仕事場を紹介する立場に慣れる気配を感じながら、話はどんどん広がっていきます。仏像の歴史の話、ご自分の話、そして仏師界の今の話ーー。

 

 ちょっとここで、一息入れました。
 norikoさんが用意してくださったマンゴーの餡が入ったお餅と、氷の入った抹茶で一服、そしてまた談笑。

phot:norikoさん

 「ところで、今度あるお寺で木工のワークショップをやることになりました。“初めての木工”といったテーマで希望される方に参加してもらうのですが、もし よかったら、イッペイさん今日試しに彫ってみませんか? 一般の方が木工体験を楽しめるように準備しているのですが、実際に慣れない方が木工をやるとどんな感じになるのか、知っておきたいのもあるので」
 えー。木工ですか。彫刻刀ですか。小学校の図工以来か、中学校の技術家庭の授業以来か。いずれにしてももう何十年ぶりだろう。
 うわー。でもせっかくだし、仏師直々にご指導いただく機会なんてなかなかないし、喜んで実験台にならせていただきましょう。

 作業台の前に座るだけで、気持ちが引き締まります。プロの仕事場に座ってしまってるわけですから。
 ちょうど手のひらに乗るぐらいの1本の木片を「ではこれをどうぞ」と渡されます。うわあ。木だ。これは木だ。ヤバい。なにより今のおれ、なんだか訳わからないテンションになってる…。

 心の中で深呼吸して冷静になってみると、渡された木片の軽さにまず驚きました。
 「軽いんですね」
 「ヒノキです。軽くて柔らかいのが特徴です。もちろんいわゆる間伐材です」
 ヒノキ! いきなりそんな高級素材を彫ってしまうのか。ヒノキと言われてまずヒノキ風呂が頭に浮かんでしまうのは、発想が貧困だからでしょうか。

 

この木片をスプーンにしていきます

ヒノキです

 

ココ師匠ご指導のもと

 そしてそこで、もうヒト方、師匠が見えました。
 インコのココちゃんです。
 Bukkouさんのインスタグラムではよく登場してらして、どう やらBukkouさんのお師匠さんのようです。実はお宅にお邪魔してお茶をいただいている時、カゴの中から声は聞こえていたんです。「普段はカゴに入るこ とがあまりないので、慣れないみたいですね。鳴き声がにぎやかですみません」とBukkouさんの奥様が物静かにそうおっしゃっていたのですが、ここへ来 て登場です。
 ココちゃんにとっても勝手知ったる仕事場に入ってくると、自由に飛んで回ります。
 本当に不思議なのが、動物って、いるだけでみんながまた笑顔になります。

 ワークショップでは匙、スプーンを作るそうです。元となるヒノキの木片にはBukkou さんが鉛筆で下書きを入れてあるので、その線を目指して表面から削っていけばいいわけです。
 最初にBukkouさんが見本を見せてくれます。サクッサクッと気持ちよい音とともに彫刻刀の刃がしなやかに木片に食い込み、気持ちよく削れていきます。ちょっと鰹節が削れていくみたいだなとも。

 さて、そもそも彫刻刀の持ち方から教わり、左手にヒノキ、右手に彫刻刀で削り始めます。鉛筆のように彫刻刀を持って、手というより親指で刃を押しながら削っていく感じなのでしょうか?
 しかし、ぜんぜんうまくいきません。
 さっきBukkouさんが見せてくれたサクッサクッなんて夢のようです。指に込める力を遠慮すると刃はヒノキの表面を滑るだけだし、少し力を入れれば今度は思ったよりも深く、刃がしっくりと深く静かに浸透していきます。ヒノキ、思ったよりも柔らかいです。

 あれ…。
 あれーー……。
 おかしい…。
 ぜんぜん彫れない…。

 

これが職人の技です

 

 などと一人はまっていると、ココちゃんが飛んできて突然肩に乗りました。
 うぉー! ちょっと今真面目にやってるから、ちょっと乗らないで!
 と最初は思ったのですが、なんかココちゃんが肩に乗ったら、肩の力が抜けました。
 なんだろう、指先の力と、刃が入る角度と、ヒノキの木目?が合ってくれると、気持ちよく彫れます。そしてそれが少しずつ出来るようになってきます。そうは言ってもうまく行くのは5回に1回とか、その程度です。
 そしてちょっと気持ちよかったのが、そうやってヨイショヨイショと彫っていると、ふいにヒノキのいい香りを感じました。ヒノキだヒノキだ。おれは今ヒノキを削ってるんだ。
 職人さんの仕事場に座らせていただき、ヒノキと彫刻刀を手にココちゃんを肩に乗せつつ、少しずつ五感でこの場を楽しめるような感じになってきます。今日削った木片を持っ て帰って、お湯をためた浴槽に入れてヒノキ風呂にしたい気分です。

 !!
 木工、おもしろい!!!

 もちろん端から見 たら不器用そのものだと思います。でも、できるだけ、自分なりにリズミカルに一片一片削ることを意識しながら、その削る過程というか、うまく行った時は無 条件に快感だし、うまくいかない時も次の一刀(というのは大げさか)に向けてリズムの合間の短い時間に傾向と対策を考えながら、できるだけタンタンと続け ることを意識します。それを何回続けられるか。その繰り返し自体が、なにか楽しい。
 集中している一瞬、意識は彫刻刀とヒノキだけにあります。

 

パチパチ頭の旅は終わらない

 ふぅ〜。
 気づくと30分経っていました。
 レベルがあまりに違うのは承知のうえで、この木片が仏像となるまでの過程と苦労を思うと、気が遠くなります。

 「でもなかなかセンスいいですよ」
 と一応褒めていただき、彫刻刀とヒノキを置きました。
 実は、そろそろ帰る時間が近づいていたんです。
 30分、自分なりに削った気分になっていたものの、あらためてヒノキの木片を見ると「多少形が変わったかな」というレベル。これをスプーンに仕上げるには、素人がやればけっこうな時間が必要になりそうです。
 「ワークショップに際しては、もう少しこちらで用意しておいたほうがいいかもですね」
 まだまだ木片でしかないスプーンを見ながら、Bukkouさんの言葉に何度も頷いてしまいました。

 いやあ。
 でもなんだか清々しい気持ちです。スプーン、結局ぜんぜん出来てないのですが、勝手にやりきった感じです。なにより、Bukkouさんの仕事場で、ご本人と奥様とnorikoさん、そしてココちゃんと過ごしたのがなんとも穏やかで心地好い時間でした。
 旅をするのが好きで、ここ数年は伝統工芸というのを1つのテーマにしてあちこち歩くようにしています。よかったなと思うのは、その性格上、その土地土地で職人さん、つまり人に会う機会が増えたこと。
 旅をするのは楽しい。でもそこで出会った人がいてくれるだけで、その土地の印象はぐっと深くなる。

 そしてその意味で、京都はある意味、麻薬のような街だなと。
 どの街でも、そこに暮らす人たちは無意識のうちにその街が持つ空気、文化に染まっていくものでしょう。鉄のクリップを磁石に当て続けると、そのクリップ自体がやがて磁力を帯び始めます。それと同じように、その街にいる人はその街の磁力を帯びていく。
 そういう意味で、京都は大きくて強力な磁石だなと思いました。
 日本の歴史的なものに触れる機会、それが圧倒的な磁力となって人を惹きつけ続け、その結果、反発力として人、物、文化を発信し続ける。京都を歩いて空気を吸って、頭の中でいろいろ考えるうち、ぐるっと一回りして、そんなことにたどり着いたのでした。
 また来たい街が1つ増えた。自分にとってそれはなによりも財産だよな。
 人生は旅だもんな。また来よう。
 などと妙に頷きつつ、気がつけばパチパチしている頭と一緒に河原町の駅へ向かい、こげ茶の阪急電車に乗って伊丹へ向かったのでした。

帰りの飛行機からは満月のもと大阪の夜景がきれいでした
帰りの飛行機からは満月のもと大阪の夜景がきれいでした