Vol.7 再びの京都 2

仙人的京友禅師

2016.11.11
クックック  大竹一平

前回の「能と煎茶の誘い」の前の日、実は友禅染の職人さんに会っていました。

 Vol.5で仏師のbukkouさんにお会いしましたが、その時に紹介していただいた縁です。

 その職人さんは水地清治さん、bukkouさんのお父様、そして京友禅の大家(たいか)。

 今回は街で世俗的でウマイ京都ラーメンを食べてから、山中に住む水地さんに会いにいきます。

 その風体に圧倒されつつ、話を聞くにつれ、作品はもちろん、人柄にどんどんはまっていきます。

 


友禅染師に会いに、京都の山中へ

  今回の京都は、自分としては珍しく1泊です。1泊すると小旅行感がより高まって、気分的になんか楽しいですね。実際には今はできるだけ出かけて行って職人さんに会う機会を増やしたいので、結果的には費用が少なくて済む日帰り旅行が多くなっているんですけど。Life is moneyとは言わないけど、なにかをやろうと思ったらやっぱりお金はかかりますから。

 

 さて。

 今回も飛行機に乗って羽田から伊丹へ飛んで、こげ茶色の阪急電車で京都へ向かいます。このルートもだいぶ馴染みになってきたな。今回も天気がよく、飛行機の窓からは富士山がばっちり見送ってくれます。

 bukkouさんから聞いた話では、「父がいるのは京都と言ってもだいぶ山のほうなんですよ」とのこと。市内から公共交通機関で行こうと思うと、JRバスで終点まで行って、さらにバスを乗り継いで行く場所だそうです。へー。京都も広いからなあ。

 村上春樹の小説『ノルウェイの森』でも、京都の山奥にあるサナトリウムが重要な場所になっていますが、そのモデルとなった場所の辺りなんだろか?(あとで調べてみたら、どうやら違うようでした。山奥もいろいろです)

 

 なので、今回はカーシェアを借りることにしました。Vol.3で都幾川に行った時のように、バスを乗り継いで行こうかなとも思ったのですが、時間の面でちょっと分からない部分が多かったので。京都は観光地らしく、カーシェアのスポット数も車の台数も、そして車種も豊富でびっくりです。車種なんて東京より多そうな気がするし。マツダのCX−5と悩んで、スバルのインプレッサを予約しました。

 

ウマコイ〜京都ラーメン

 1泊すると少し余裕があるので、朝はいつもより少し遅めに家を出ました。京都に着くと阪急の終点の1つ手前、四条烏丸駅で下ります。水地さんに会う約束をしたのは午後2時、四条烏丸に着いたのは11時すぎでした。googleマップで調べると、カーシェアで12時半に出れば余裕を持って辿り着けるはずです。

 というわけで、昼メシの問題です。今回はドライブするので、前回寄った「スタンド」はナシ。あそこに行くと、どうしてもビールを頼まざるを得ないので。

 地下にある四条烏丸駅から地上に出て、ぐるりと一回りしながら店を探します。おばんざいの店もありますが、牛、豚、鶏と、肉料理の店が多い印象。前回も思ったんですけど、京都はなんでこんなに肉料理屋が多いんだろ? もつ焼きの店も多いし。これが関西文化なのか?

 なんて思いながらブロックを一周して、ラーメンにしようかなと。

 京都ラーメンで脂まみれになっちゃおう。

 

 「魁力屋」というラーメン屋が、力強い名前の割にはスタイリッシュな店構えで、ちょっと気になりました。カウンターに座ってメニューを見ると、魁力屋の名前の通り濃そうなラーメンがずらり。ラーメンもいろいろですが、こういうのも好きです。けど、思えば京都ラーメンの濃さって、京都の薄味文化の反動なのか? 京都の食文化に関して、さっきから 「?」が増える一方です。

 まあ、いいか。

 出てきたラーメンをズルズルとすすると、これはもう間違いないウマコイ~ラーメン。うまくて濃いですね。体に悪いんだろうなあと思いつつ、一気に完食です。こういうの、たまに食べたくなるんだよなあ。

 

 ウマコイ~ラーメンに満足してるうちに、いい時間です。魁力屋からすぐ近くにあるカーシェアのポイントで車を借り、よし出かけよう。市内から車の多い四条通りを西に向かい、国道162号に入って北西へ。京都の郊外に出るのって初めてだな。

 

魁力屋のラーメン。こうやってみると玉子とネギと脂しか見えませんね

チェーンとして店舗を増やしているらしく、関東含め京都以外にもけっこうあるみたいです

餃子もうまかったな

 

ハッとしたりムッとしたり

 京都はよく言われるように、グルリと山に囲まれた盆地で、だから冬は寒くて夏は暑い。それを実感したのが、車を走らせるとすぐに平らな市街地は終わってしまい、けっこうな山道に入っていったところでした。10月頭、まだまだ緑の濃い山道を走りながら、この日は季節外れで特別に夏のような天気だったのですが、車の窓を開けて山の空気を感じながらドライブするのはなかなか気分いいもんです。

 インプレッサのエンジンは小気味いいし、CVTギアのセッティングも期待したほどではなかったけどまあまあ素直だし、走り自体は快調でいいのですが、問題はたぶん衝突防止センサーなのかな。車が障害物に近づくとピーピー鳴り、感覚的には「そこで鳴らなくても…」という距離感でいちいち鳴るのが煩わしいのと、そのセンサーをオフにするスイッチを見つけられなかったのが不満に不満です。電子音って、突然耳に入るとハッとするし、その原因が分かると、無駄にハッさせられたことにムッとするわけで。

 

市内から1時間、静かな静かな京北

 渋滞することなく、ただインプレッサにはピーピー言われながらも、まあ概ね快適に山道ドライブを続けていきます。道は弓削(ゆげ)川に沿って上り続け、悪い道ではありません。むしろ適度なカーブが続き、運転してて楽しい道のりです。

 山あいの道を走っていて思ったのが、途中にいい感じの食事処というか、隠れ家的な料亭風が何軒か目につきました。京都の奥座敷的な場所なんでしょうか。景色としてはだいぶ山奥まで来たけど、まだ古都の空気が漂っているような気もします。もしかしたら、日本海から京都へ鯖を運んだ“鯖街道”の1つだったりするのかな。

 1時間ほど走ると、京北という地区に入ってきます。

 そろそろだ。

 

 いつもそうなんですが、初めての人に会う前は緊張します。出かけた先でいろいろな景色を見て楽しいなと思う反面、その時が近づくにつれて緊張感も高まってきます。だいぶ慣れてきたとはいえ。

 今回はどんな人なんだろ?

 

 それにしても静かな場所です。低い山がいつまでも続き、弓削川が作ったと思われる狭く細長い平らな土地に田んぼが作られています。市内で感じた季節外れの暑さも、ここでは気になりません。

 いいとこだなあ。

 

京都市内から車で1時間ちょっと、静かな静かな京北地区

「仙人…」ではなく、水地さんと対面

 カーナビで設定した住所に着くと、何軒かの古そうな家が寄り添う集落にある広場でした。ただ、どこが工房なのか分かりません。周囲はまったく静かで、聞こえるのは鳥の声だけ。

 事前に伝えた通り水地さんに電話をかけてみます。

 

 が。

 あれ?

 5分待ってもう一度かけても、やっぱり通じません。 

 あれ??

 

 都合悪くなっちゃったのかな?

 

さらに5分待ってかけると、今度はつながりました。ほっ。一瞬、このままとんぼ返りになるのかと思いました。今いる場所を説明すると、迎えに来てくださるそうです。あまりに周囲が静かなので、電話をしている自分の声がいつもより大きく感じられるほど。

 静かな集落でポツネンと待っていると、無造作に束ねた長い白髪を揺らしながら、サンダルを履き年輩だけどいかにも骨格のしっかりした男性がゆっくりと歩いて来ました。どうやら水地さんです。

 

 「仙人だ…」と思いました。もちろん、口にはしませんでしたが…。

 

 水地さんの工房兼自宅は、そこからすぐでした。外から見るその建物は一見して独特の風合いで、山郷に建つ小屋と言っていい雰囲気。そしてやはり、ものすごく静かです。入ってすぐ、玄関から続く居間には本が大量に並び、入って左手が工房のようです。

 

 「自分で建てた家でねえ」

 ご本人の風貌と建物の風合いにやや面食らい、立ちすくんだようにしていると、そう言ってクックックと笑います。

 

 「工房、見ますか」と言われて、やはり入って左手の部屋に入りました。

 シーンとした空気の中、作業台には今まさに染められている反物が、その周りにはいったん染めて乾燥させていると思われる反物が、置かれています。しかもわりと無造作に。その光景に、またなんとなく立ちすくんでしまいました。

 なんというか、不思議なんです。

 部屋に入った瞬間は、いろいろな物がわりと無造作に置かれているように見えるんだけど、けっして乱雑ではない。目と心が慣れてくると、むしろ的確に整理されていることに気づきます。作業台も用具入れも、古そうなレコードが並ぶ棚も。

 

 なにより、この静かな山奥の空気と、この工房に流れる空気は、完璧に結ばれています。そう感じるのと合わせて、居心地もじわじわとよくなってきます。初めての場所なのに。

 

 2人で向かいって座ると、水地さんはスマホと紙焼きの写真を並べながら、ポツポツと話しだします。

 

水地さんの作品の数々。絵のように見えるけど、すべて染め物
水地さんの作品の数々。絵のように見えるけど、すべて染め物
 

東京オリンピックで使う衣装

 「これ、オリンピックの入場式で使う衣装なんです」

 「オリンピックって、東京オリンピックですか?」

 「そうそう、2020年の。開会式の時に選手が着るやつ。もう始めておかないと間に合わないから。これは日本(選手団)のじゃなくてエチオピアの民族衣装で、もう納めてある。1か国だけじゃないから」

 

 へーーー!

 

 オリンピック選手団の衣装って、こういう所で、こういう風に作られるんですね。しかもリオ五輪が終わったばっかりなのに、もう次の準備が始まってるんだ。なにより京友禅と聞いて、和服しかないんだろうと思っていた自分が浅はかでした。エチオピア選手団の衣装は、柄の色合いからして和とは程遠く、いかにもエスニックでカラフルです。こういうのもやるんだ。友禅染って。

 

 「え、じゃあまさか各国の衣装を全部染めるんですか?」

 「いやまさか、そら全部僕んとこじゃやりきれない」

 

 アホな質問をしてしまったせいで、クックックと笑われてしまいました。そしてまた別の写真。

 

 「でもね。これなんかは(技術的に)僕しかできないような染め物だからやってるけど、それでもたいした金額にはならなくてね」

 あー。やっぱりそういう話になるんですね。京友禅なんて日本の伝統工芸の中でもメジャー筆頭格だろうに…。

 

 「でも友禅染の着物なんて、買ったら高いじゃないですか」

 「そうは言ってもね。値段が上がるのは僕んとこを出てから。これなんかは下絵から描いたから3か月以上かかってるけど、もちろん他のもいろいろやりながらだけどね」

 とスマホを見ると、細かく凝った絵柄の着物です。

 「仕立ても入っていくとお店では80万円ぐらいになる。高いものになると400万円っていうのもある」

 「おー! 400万!」

 「ただ、僕は生地も用意しないといけないし」

 「え⁈ 生地って染める人が用意するんですか?」

 「そう。これで16メートルぐらいの生地が必要なんだけど、そんな変なもん使えないから」

 

 うん。その生地は当然絹、ですよね。

 

 「で、最終的に僕のところに残る金額は……」

 「……!!??」

 

 その金額を聞いて、びっくりしました。確かに厳しい。厳しすぎる。学生のアルバイトかっていうレベルですから。

 

 「だから若い人が入ってきても、長続きしない」

 「そうなりますよねえ…」

 

 仕上げるのに最低1か月ちょっとはかかるそうです。何点か並行して進めるにしても、せいぜい2つ3つでしょう。そうなると、生活するのも楽ではないレベルです。なんだかしみじみしてきちゃいました。

 

これが2020年の東京オリンピックでエチオピア選手団が着る衣装(の生地)
これが2020年の東京オリンピックでエチオピア選手団が着る衣装(の生地)
エスニック。こういうのも友禅染でやるんですね
エスニック。こういうのも友禅染でやるんですね

 

本物を見る目

 「だから僕なんてなんでもやる。今もさっきまで畑仕事してきたところだから。クックック」

 あ、だからさっき電話が通じなかったんだ。近くに畑があって、自給自足に近い生活みたいです。ますます仙人っぽい。

 水地さん、スマホの写真を手繰りながら、だんだん話が止まらなくなってきました。

「これなんかは太鼓してるところ。今月は13回も呼ばれて叩きにいくし」

 太鼓の楽団をやっていて、京都市内はもちろん、北海道まで演奏しに行くこともあるそうです。確かに、この小屋に入った部屋に修理中らしき太鼓が置いてありました。

 「太鼓、ご自分で直したりするんですか?」

 「直したり、頼まれたり」

 うーん。多彩です。自由です。

 

 京友禅の職人ではあるのですが、太鼓奏者であり、太鼓職人でもあるわけです。そして話していて思ったのが、友禅染を取り巻く現状を憂いながらも、水地さんご本人は生活をものすごく楽しんでいるんだろうなあと。畑仕事も、別に食べるためだけにやっているのではなさそう。

 友禅染の話に戻ると、注文は問屋から入るのが中心ながら、結婚式や成人式を迎える人などから直接依頼を受けて染めることもあるそうです。なかには「ヨーロッパの美術館で展示されているのもある」ともおっしゃっていました。すごい。さらに、高級料亭なんかで衝立も兼ねた飾りにという使われ方もあるそうです。面白かったのが、京都と東京の好みの違いでした。

 

 「最近は東京からも注文を受けることが増えてきたんだけど、東京はどちらかと言うとあっさりした柄が好まれる。京都は豪華というか、華やかなのが好まれるので、朱使いが多くなる。東京はあまり朱がなくて、粋な感じが好まれる。だから、どこで使われるか頭に入れておかないといけない」

 

 「ただ、着物屋に行っても、僕がやってるような着物にはなかなかお目にかかれない。ほとんどプリントだから」

 「見て分かるもんですか?」

 「プリントもきれいだけどね。味がない。手染めにはやっぱり味がある。まあ、つくってる本人がそれを言うのも変な話だけれどね。クックック」

 

 まあ確かに、400万円前後からする着物にはそうそうお目にかかれないです。そう思って聞いてみました。

 

 「ただその、確かにそういうしっかりした手染めの着物がなくなると困りますけれど。たとえば若い人が着物を着ようと思ったら、まずはプリント物で手軽に始めて、着ていくうちに水地さんが染めているような本物に目が向いていくっていうこともあるんじゃないですか?」

 「でも、今の人は見る目がないから」

 

 そう言われて、ドキッとしました。

 

 「それはちゃんとした物、本物を見てないから。今の人は簡単にきれいな物、華やかかどうかだけで価値判断しちゃう。だから絵画にしても、新しいものは見た目がきれいな絵が好まれるでしょ。でも、ゴッホとかセザンヌとかピカソとか、なんと言うか、きたないですね、絵が。でもそこに味がある」

 「言われてみればそうかもしれないですね」

 「だから僕らなんかも、たまに言われるんです。プリントばっかり見てる人が、たまに僕の染め物を見ると、汚いって言います。クックック」

 

 うーーーーーん。

 そうか、そうなっちゃうんですね。

 

 「だから結局、分かってくれる人だけに分かってもらうしかないかなと」

 

 水地さん、クックックと笑いを混ぜながら話すのですが、その視点はさすがに鋭く、悲しい真実です。少しずつでも、本物に触れていこう。

 

人間か仙人か、人間で仙人か

 この後も、いろいろな話をしました。染め物の話から伝統工芸のこと、話が急に変わって料理が好きだということ、だからたまにご近所を集めてバーベキューをやること、また一転して日本の古代史のこと、そもそも日本人はどこから来たのか、何者なのかという話…。とにかく、自由で多彩です。

 最後に、実際に染める様子を見せてくださることになりました。

 作業机に座って筆に染料をつけると、おもむろに染めていきます。スッスッと、絵を描くように。その筆使いに迷いは見られません。確信と自信を持って筆を走らせていく姿は、やはり見ていて心地よいです。

 

 「僕はね。本当は仕事をするときは必ずなにか音を流すんです。レコードとか、ラジオとか、テレビとか。なんでもいいので」

 「そのほうが集中できるんですか?」

 「いや、音を流しておかないと、帰ってこれないから」

 「???」

 「染め物を始めると、僕の魂はあっちの世に行ってしまうんです。だからこの世の音を出してつなげておかないと、帰ってこれなくなる。それは困るでしょ? クックック」

 

 確かに、それは困ります。ただそれとは別に、この人はもしかしたら、本物の仙人なのかもしれない…。

 

 工房を出て、車まで送っていただく道すがら、思い切って言ってみました。

 「あの、水地さんってその風貌や生活ぶりからして、仙人みたいだなと思ったんですけど…」

 「うん。よく言われます。クックック。また来てください」

 

 もちろん、また来ます。仙人のような水地さんと手を振ってわかれました。

 なんでしょう。ひとしきり話をして、不思議なくらいに自分の頭の中がかき混ぜられ、その結果スッキリしているのに気づきました。

 水地さんは職人としての技や考え方はもちろん、人としてものすごく高い意識と集中力と、洞察力を持ってらっしゃる。染め物以外に太鼓を叩いたり、農業をしたり、近所の方とバーベキューをしたり。森羅万象を眺めて、そうやって生まれた“なにか”が、また染め物職人としての水地さんに還っていく。人里離れた山の中で、染め物という仕事を通してますますそれが研ぎ澄まされていくんだろうなと、勝手に想像しながら帰りました。

 京都には街から少し離れて山に入ると、仙人がいるんだな。

 じゃあきっと、まだまだいるんだろうな。京都以外にも。

 まあ仙人ぐらい、いるよな。