Vol.6 再びの京都 1

能と煎茶で日常から離脱する休日

2016.10.29
地味に地道に広げていこう  大竹一平

8月末に続いて、10月に再び京都です。

今回の目的は2つ。

1つは京都御苑内にある拾翠亭(しゅうすいてい)という茶室で開かれる

「能と煎茶の誘い」というイベント(と言ったらは軽すぎるかな)に参加すること、

もう1つは京友禅の職人さんに会いに行きます。

 


広がりつつある

 「能と煎茶の誘い」を知ったのは、今年3月に「インスタ茶会」で京都へ行くきっかけとなり、また前回8月に仏師のbukkouさんに会いに行った時も同席していただいたnorikoさんが主催者の一人だったから。そして次回紹介する京友禅の職人さんは、まさにbukkouさんに紹介してもらうというつながりです。こんなブログでも、続けて行くと少しずつ縁が広がって行くのがしみじみと嬉しいもんです。

 がんばろう。

 

 さて。

 京都御苑へは四条烏丸から地下鉄に乗り換えて2つ目、丸太町駅を下ります。駅からすぐにある間ノ町口(あいのまぐち)から入ると、拾翠亭は近いそうです。事前にもらった案内によると。

 しかしあらためて地図で見ると、京都御苑ってさすがに広いですね。

 敷地はほぼ長方形の形をしていて、その長辺は地下鉄ほぼ1駅分の長さ、ガイドによれば約700メートルあるそうです。もっとも長らく天皇がいた御所で「京都の中の京都」、日本の中枢だったんだからそれぐらいは当然かと、今さらながらに思い出しました。この辺が我ながら感覚的に疎いです。

 しかし、今の皇居とどっちが広いんだろ?

 思ったのが、それだけ広いと下りる駅を間違えたら地下鉄一駅分は歩かないといけないんだなと。地下鉄の中で念のためもう一度、地図で場所を確認しておきました。

能と煎茶、普段はきっと簡単に会えない人たち

 駅を出ると大通りが交わる交差点に出て、通りの向こうに京都御苑が見えます。というか、延々と続く灰色の塀が目に入ってきます。

 その塀が京都御苑なのか、実はまたそこで地図を開いて確認してしまいました。駅周辺をぐるりと見て案内が目に入ってこなかったので。でも大丈夫、あれが京都御苑だ。午後1時から始まる会なのですが、時計を見るとなんだかんだで10分前。微妙に焦りながら拾翠亭に向かいます。

 拾翠亭は確かに間ノ町口から入ってすぐ右手でした。5分前に入って玄関で靴を脱ぐと、受け付けにいたnorikoさんが「もうみなさん揃ってますよ」と笑顔で迎えてくれました。

 お、最後の1人か。やばいやばい。間に合ってよかったけどギリギリだ。

 

 今回の「能と煎茶の誘い」は、この日午前と午後に1回ずつ、午後の部は最初に能楽師の吉田篤史さん、次いで煎茶道宝山流家元の辻宝通さん、それぞれの道の超一流の方が講師になって、能と煎茶の楽しみ方を教えてくれるそう。

 とは言え、能にきちんと触れるのは例によってこれが初めてです。能と言えば、昔、埼玉の大宮にある氷川神社の近くに住んでいた頃、薪能を道の脇からちょろっとのぞいたことぐらい。

 能の先生、吉田さんの肩書きは観世流シテ方とあります。

 観世流というのは南北朝時代(室町時代)の観阿弥が初代とする流派、いま宗家の観世清和氏はなんと26世宗家だそうです。観阿弥といえば、世阿弥と並んで教科書で習いましたよね。で、初めて聞いた言葉「シテ方」というのは、能の世界での独特かつ重要な役割のようです。

 

 辞書によるとーー。

 

してかた【シテ方】

能楽において,能のシテ,シテヅレ,トモ,子方(こかた),地謡(じうたい),後見(こうけん)の各役を担当する演者とその集団。ワキ方,囃子方,狂言方(三役)に対しての呼称。観世,宝生,金春,金剛,喜多の五流がある。ほかに梅若が一時観世から独立して一流を立てたが,旧に復した(観世流)。従来,能楽界には興行会社,プロデューサー,劇団制が存在しないので,ほとんど多くの場合シテ方各流の家元ないし各流内の有力職分が催会を主催し,興行主と演出家と主演者を兼ねる形が一般的である。

(世界大百科事典第2版より)

 

 ざっくり言って、主演、プロデュース、経営を一手に引き受けるという役割、でいいのかな?

 

左から順に、京都御苑間ノ町口と拾翠亭の入口、庭園からの拾翠亭、いよいよ建物に入ります。
 
 

能と歌舞伎の違いって分かります?

 書院造りの拾翠亭に入ると、お面が並んでいました。お、これが能面か。いきなりの対面ですが、お面、やっぱりなにか雰囲気がありますね。目が吸い込まれます。

 続いて十畳ほどの茶室になっていて、庭園をのぞむ形に敷かれた座布団にたくさんの人が待っています。壁を見ると能で使う衣装なんでしょう。いかにも手の込んだ、立派で高価そうな着物が光っています。そもそもこんな無造作に近くで見れることが、貴重なはず。自分がここにいるのが不思議な感じになってきました。

 

 なんて思っていると、吉田さんが紋付袴姿で登場です。まずは能の能書き(能書きっていう言葉も、ここから来たのか?)から。

 能楽は第1回世界無形遺産に登録されたこと、日本の伝統芸能のなかでも一番の歴史を持っていること、歌舞伎や狂言との違いなどを分かりやすく説明してくださいます。

 能と歌舞伎、狂言、古典芸能にもいろいろありますが、正直、どこが違うのかが良くわかっていませんでした。でもこうやって聞いてみると、やっぱり違うもんです。へーと思うことしきり。

 能はやっぱり一番古くから続く芸能とうことでか、仕掛けという面ではシンプル。歌舞伎だと舞台上の派手なセットのイメージがありますが、能では基本的に大道具的なセットは使わないそうです。音楽で使う楽器も能は小鼓、大鼓、太鼓、笛。歌舞伎はこれに三味線や鉦(かね)などの鳴物も入って賑やかになる。

 それと、なにげに一番納得したのが、主役がお面をつけて舞うのが能、化粧をするのが歌舞伎と。確かに、言われてみればそうだ。

 室町時代に生まれた能は、江戸時代になっても武家の上流階級で愛されたようです。場合によっては、庶民が触れることを武家が禁じたと書いてある資料もありました。その反動的か、江戸時代に生まれた歌舞伎はどちらかというと庶民文化として発展したので、能に比べると分かりやすく派手な展開になったのかもしれません。

 

 しかし、なによりすごいなあと思ったのが、吉田さんは自分のような完全な初心者にも分かりやす説明をしてくださること。これ、実はすごいことです。プロフェッショナルな世界で生きている人だからこそ、特に世界観を伝えるのって、逆に難しいことだと思うのです。特別な世界が本人にとっては当たり前になってるわけですから。そんな分かりやすくて、思わず頷いてしまうような説明のあと、『高砂』という仕舞に入ります。

 能の世界で、演者がお面や衣装を着けないで、舞台上で舞うことを「仕舞」というんですね。

 

能面。怖いような、でもよく見ると愛嬌があるような
能面。怖いような、でもよく見ると愛嬌があるような
この衣装も、将来は作れる人がいなくなってしまうかも!?
この衣装も、将来は作れる人がいなくなってしまうかも!?

声量で、一瞬で別世界へ

 まず、なにより驚いたのが、吉田さんの声量でした。

 説明を聞いている時も「さすがによく通るいい声だなあ」なんて思っていたんですが、仕舞に入って謠を一声発した時、極端にいえば景色が変わった気がしました。

 

 おーーーーー。

 一瞬背筋が伸びましたから。

 なんかそれだけで来た甲斐があったと感じてしまうほど。

 あっという間に別世界に連れていかれました。

 

 実際の能の舞台ではお面をつけて舞う分、この迫力はまた違う印象になるかもしれません。もちろん、本来はお面をつけるからこそ、発声が大事なんでしょう。

 この日は吉田さんと、その息子さんの2人の舞台です。吉田さん本人が舞い、息子さんが謠う。息子さんはまだ小学生だと思うのですが、こっちもすごい。まだ声変わり前の声で、そこだけはあどけなさがありますが、声量も抑揚も、素人目には立派に能の演者です。もし自分が小学生だとして、このレベルに至るまでの努力と時間と辛抱を想像すると、ちょっと膝がムズムズするような、気が遠くなるような。

 

 もともと京都御苑の別邸の茶室にいて、庭園の池や橋、東山の借景を眺めているだけでも異次元感が高いのに、それに2人の芯のしっかりしたハリのある声が加わったことで、なにか時間の概念も超えたような感覚がありました。

 すごい。まいったな。なんだこりゃ。

 

 お面も衣装もない、能でいえば走りの走り、しかもほんの一場面だけだったのですが、この距離とこの少人数で観ていられることがすごく貴重な時間に感じるわけです。終わると「ほえー」っとわけの分からないため息。

 初めて触れた驚きと、感動ですね。

 

 会ではそのあと、希望する参加者に能の本物の装束を着て女装する体験と、吉田さん指導のもと、参加者全員で『高砂』を一節謡うという体験がありました。

装束は現存する職人さんではもう作れない技法で仕立てられているらしく、「吉田家の宝です」と言ってました。技も宝なら、技の結晶で生まれたモノも宝です。

 しかし、この宝、おいくらになるんだろ…。(下世話だよなあ、それが気になるのって)

 謠もものすごく独特な音階と発声で、そもそも現代語でなくて万葉言葉(なのか?)、日本語だけどほとんど外国語の詩に聞こえる言葉の綿々を、精一杯の声で表現する。謠と歌、さすがにカラオケのノリとは違いすぎます。

 

こうやって見ると、姿勢もすごく大事


目と心がキラキラ

 能が終わって煎茶をいただいていると、なんかこう、清々しい気持ちになりました。普段はくすみがちな目もキラキラしていたはずです。少女マンガか。

 能、400年にもわたり、ものすごく真っ直ぐに伝わってきた芸能なんだなと感じられました。まあ正直、まだ敷居が少し高いかなと思うところはあるものの、それはきっとここで能がますます深そうなことを知って、そのいろいろと知らない世界の全貌が想像しきれない分、そう感じるんでしょう。機会があってもう一度きちんと対峙してみたら、またなにか感じるものがあるかもしれない。いや、きっとある。

 矛盾はしますが、観ていて想像していたよりずっと、シンプルにおもしろかったので。

 

 煎茶の席は、能の余韻でボーッとしていたせいか、春に初めて参加した時よりもだいぶリラックスして座っていられました。今回は参加人数が多かったので、norikoさんともう1人が向かい合ってお点前をしています。

 「へー!」と思ったのが、2人が向かい合って鏡のようにお点前をしているところ。息がぴったりだし、鏡役になって普段と反対の動きをするのって、そうとう難しそうです。

 2人の動きにすっかり目を奪われ、フト思ったのが、春の時も感じたのですが、norikoさんがお茶を淹れてる時って、なんだか本当に楽しそうなんです。穏やかで、微笑みまで浮かんでいるし。

 茶道って堅苦しい世界なのかなあと思い込んでいたのが、あの姿を見て、だいぶ考え方が変わってきました。

 茶道も、能と同じくエンターテインメントなんだなと。

 作法は客の目を愉しませるためにもある、のかもしれません。

 

 ならば。

 楽しめばいいんだ。この空気を。

 

 きっと、能もそうなんだ。

 眼に映る独特の動きと、能の言葉はよくわからないけど耳に入ってくる音楽と言葉、お茶を煎れる時の静寂、それらが作る世界観をただただ感じて、楽しめばいいんだ。

 やってるほうは真剣そのものなので、そんな単純に楽しんでしまう姿勢でいいのか若干躊躇しますが、でも、きっといいんでしょう。能と煎茶に酔ったようで、そんなことを考えながら庭園を眺めていると、なんだかまたボーッとしてくるようで快感でした。

 新しい自分にたどり着いた気分。

 

 そして実は、この前の日にもまたおもしろい人に会っていたんです。

 京都の街から遠く離れた山奥で友禅を染める、仙人のような職人さんです。

 次は仙人さんに会いに、京都の山奥へ向かいます。

 

写真一番左の女性が抹茶 煎茶道宝山流家元 辻 宝通先生
お点前をしている2人のその奥には前回ブログでお会いした仏師のbukkouさん
次回お会いする友禅染の職人さんは、bukkouさんのお父上です