Vol.11 金沢・山中 木工細工の工房で道具の大切さに気づかされる


今回は金沢の近く、山中という場所へ木工細工に触れてきました。
木工細工を作る工房を見学するのは初めて。
石川県の金沢の少し西、小松市から加賀市にかけて4つの温泉があり、加賀温泉郷と呼ぶそうです。
粟津温泉、山代温泉、片山津温泉、そして山中温泉。
その山中温泉には、山中漆器という伝統工芸があります。
お会いしたのは山中温泉に工房を構える佐竹巧成さんで、漆を塗る前、木工で器を作る職人さんです。

2017.2.12
そうか、そういうことなんだ
大竹一平


山中漆器を支える木工の腕

    漆器、漆で塗られた食器ですね。日本だと他に能登の輪島や福島の会津塗り、僕がよく遊びに行く青森の津軽漆器も有名なのかな。
    漆器、滑らかな艶があって深い色合いで、きれいだなと思います。しかも見た目だけじゃなくて、漆を塗ると食器が丈夫になって長持ちすると言いますよね。思うにきっと大昔、最初に器に漆を塗った人は、器を美しくしたいからじゃなくて、器を丈夫にしたくて塗ったんじゃないかと思うんですけど、どうでしょう?

 

雷吹雪の金沢へ

    さて。
    1月20日、金曜の夜に金沢まで行って、翌日の土曜日に山中温泉へ向かいます。
    今回は1泊旅です。予定では羽田から最終便、19時40分発の飛行機に乗って小松空港へ向かい、予約した金沢駅近くのルートインホテルには22時前には着くはずです。
  「山中温泉なんだから温泉に泊まればいいじゃないか」と思うでしょう。きっと。
    なんで金沢に泊まったかというと、そもそもは今回も日帰りで行くつもりだったのが、実は飛行機とホテルのセットで予約したほうが料金が安いことに気づいたんです。せこい話ですが。
    JALのHPでダイナミックパッケージというのを見てみたら、往復の飛行機と安いホテルを選ぶと込みで24,000円ほど。え、それって往復の飛行機代より安い。しかもその金額帯で泊まれるルートインホテルには人工ながら温泉があると。いいじゃないか。

    というわけで、金曜夕方にそそくさと定時で会社を出て(今は会社員ですから)、饒舌な夜のシジマを探しつつ、ジェットストリーム的にモノレールで羽田空港へ。個人的に旅の香りは場所と時間で密度が変わると思っているのですが、夜の空港には最上級の濃厚さがあって堪りません。
    ただ、この日は全国的に冬の嵐に見舞われた1日。嵐は夜になっても収まらず、各地は大荒れで、小松空港のあたりも風がかなり強いようです。
    思えば2016年ラストの遠征だった唐津に向かう時も、こんな天気だったよな。
    なんてことを思いながらボケっとビールを飲んでいると、アナウンスがあって小松行きは30分遅れると。よし、じゃあもう1杯飲める。
    週末のやや疲れた身体に、ゆっくり飲んだジョッキ2杯でいい気分になったところで、最終便は飛んでくれました。場合によっては羽田に引き返すこともあるそうだけど、きっと着けるでしょう。

    小松空港に近づくと現地は北陸名物・冬の雷が暴れていました。パイロットのアナウンスがあって、ちょうど積乱雲が空港の真上にあるとか。へー。確かに窓の外は時折ピカピカと光ってます。積乱雲が通り過ぎるのを上空でぐるぐると待機。関東では冬に雷が鳴ることはまずないし、雪と雷の組み合わせも初めてで、これも悪くない。
    悪天候で得した気持ちになりつつ、どこかフワフワした気分のままホテルに着いたのは予定より遅れて23時前。ホテル近くでその時間でもやっていたおでん屋に入ろうかとも思ったのですが、おとなしくローソンでサンドイッチとビールでいいか。
    温泉に浸かって呆けながら部屋でビールを飲んでサンドイッチをつまんで、それなりに幸せな気分で過ごしました。

まずは羽田で一杯
まずは羽田で一杯

  

金工細工の秋友さん

    翌朝、山中へ移動します。朝10時に金沢の金工作家、秋友美穂さんが迎えにきてくださいました。

    今回お会いする木工細工職人の佐竹巧成さんは、この「旅日記」の1回目でも紹介した秋友さんの紹介で会うことができました。佐竹さんと秋友さんは金沢の美大の先輩後輩の仲だそうです。そんなこともあり、ありがたいことに秋友さんが愛車のジムニーで山中まで連れて行ってくださると。助かります。
    秋友さんとは昨年末、銀座一丁目のキラリト銀座にあるアンテナショップ「銀座の金沢」で開かれた銀細工ワークショップでお会いして以来です。お互い東京と金沢を拠点しているわりには、よく会っていますね。

    金沢駅から山中温泉へは、まっすぐ行けば車で下道を行っても1時間ほど。ただこの日の午前中はまだ天気が悪く、ところによってはけっこうな強さで雪が降っています。ゆっくり行きましょう。

    山中温泉へ向かう途中、せっかくなので九谷焼の博物館と美術館へ立ち寄り。
    九谷焼は有田焼にルーツがあったんですね。作品もそうですが、謎があるその歴史にも興味を持ちました。九谷焼の元祖「古九谷」はなぜか一度消滅しているし。いずれなにか機会を作って、もう少し深く触れてみたいです。

    艶やかな九谷焼に唸りつつ、山中温泉に着いたのは13時頃。“山中”というだけあって、山に囲まれ大聖寺川の渓谷に沿った静かな温泉街でした。メインストリートがきれいに整備されているし、静かに散策と温泉を楽しむのもよさそう。

    秋友さんが「佐竹さんにおすすめされた餃子と唐揚げがおいしいラーメン屋がある」とのことだったので、姑娘というラーメン屋へ。ジューシーな餃子と巨大な唐揚げに、シンプルさが沁みる優しい醤油ラーメン。寒い時に熱々のラーメンって、ホッとするなあ。

山中温泉のメインストリートと、佐竹さんの工房近くから

 

轆轤(ろくろ)が唸る工房へ

    いよいよ佐竹さんの工房へ向かいます。
    山中温泉を抜けて橋を渡ると、道は大聖寺川を見下ろす見事な河岸段丘に沿って続きます。見晴らしがいいなあと思っていると、秋友さんはその斜面に建つ建物の前で車を停めました。

    工房は道沿いにある玄関から一段低いところにあるようです。ただ、斜面を利用して建てられているので地下ではなく、窓もあります。車から降りて辺りを眺めようかなと思ったら、秋友さんが意外なぐらいの素早さでさっさと入って行きます。「ちょっと待った」と焦りつつ、斜面を下りてついていきます。

    ガラガラと戸を開けて工房に入ると、木のお椀がたくさん積み上げられているのが目に入りました。おー、まさに木工細工だ。でも後で聞いたら、積み上げられていたのはお椀ではなくて、これからお椀にする材料なのでした。
    木工轆轤(ろくろ)のモーターが回る音と、木が削られている音。陶芸の轆轤は見たことあったけど、木工轆轤って初めてです。そしてこんなに常に音が鳴っている工房は初めてかもしれない。

  「今日はよろしくお願いします。入っていいですか」と挨拶すると、佐竹さんは「どうぞどうぞ。その辺勝手に入って見てください」と気持ちよく歓迎してくださいます。

    窓から明るい光が差し込む工房は、木を削る轆轤が2台。1台は佐竹さん、もう1台は佐竹さんに背中を向ける形で、妹弟子の山口唯奈さんが座っています。その座り方が、初めて見た時になんとなく独特だなと思いました。床の上に作業台と椅子を置くのではなく、床面にロクロが置かれ、職人は掘りごたつのように足を潜らせて座っています。だから入口から入ると職人さんの上半身しか見えません。
  「へー」と思って見ていると、それを察して佐竹さんが手を止めて説明してくださいます。

  「こうやって掘りごたつ式に座って作るのは、山中の特徴なんですよ。他の木工細工の産地では、このスタイルはないみたいです。山中は日本の木工産地の中でも生産量が圧倒的に多いのですが、山中だけでしか見られないやり方というのがいくつかあるんです」

作業風景と材料。堀ごたつ風になってるの、分かりますか?

 

コンマ数ミリ、ティッシュ 1 枚分の気品

    なんだろう。初めて見る光景に木が削れる音、木の匂いに圧倒され、頭がボーッとしてうまく言葉が出ません。
    轆轤の周りには削られた木くずが大量に積もっています。その木くずの中に埋もれるように、何本かの刃が置かれています。そしてなんだかふんわりと積もった木くずが鰹節みたいでおいしそう。

    お椀を作っているのでしょう。轆轤の先にお椀がしっかり取り付けられて回転し、それを刃物を使って慎重に削っていく。轆轤の回転に合わせて木がシュルシュルと気持ちよく削られる様子は見ていて気持ちがいいもんです。それこそ鰹節を削っているようだし。

    木が削られ、木くずが生まれるたびに、お椀が形になっていきます。轆轤のモーター音は盛大ですが、指先の作業は精緻そのものです。後で聞いた話ですが、作られた器に漆を塗ると、厚さ1ミリにも満たない差で器がボテッと重たく見えてしまうことがあるそうです。佐竹さんは「ティッシュ1枚分の気品」と言っていました。
    浅はかな自分は、多少木工で表面が粗くても、漆を塗ると表面の粗をごまかせるのかなとも思っていたのですが、実際にはその反対。ティッシュ1枚分の気品を醸し出すために、コンマ数ミリの調整が、ここで行われているわけです。

轆轤が回り、刃を当て、木くずがシュルシュルと飛ぶ

 

作る機械が…

  「今はこうやって轆轤も機械で回しています。この機械、単純そうに見えて実は軸を回すベルトの制御がかなり独特で精密で、見た目と違って凝った作りなんです」
  「え、そうなんですか。そんな風には見えなかったです」
  「そうでしょ? 足元のペダルで回転スピードや回転の方向を変えられるんです。ただ、実は今やこの機械を作れる人が、もう日本中を探してもいないんです」
  「え、そんなすごい機械なんですか⁉︎ そしたら壊れたらどうするんですか?」
  「そう。それが困るんです。だから壊れて使い物にならなくなる前にメンテナンスして、修理しながら大事に使っているんです。だから機械も職人の間で取り合いなんですよ。前に座ってる彼女も直に独立して巣立っていくんですが、その時はこの機械も一緒に持たせないといけない。そしたら私はまたどこかからか空いている機械を探さないと、新しい弟子をとれないんです」

    えー! そんなことってあるんですね。職人の後継者がいなくて困るという話を聞いたことはあっても、作業に使う機械を作れる人がいなくて困るというのは初耳でした。でも考えてみれば、当然そういう話もあるわけですね。

  「機械が入る前、昔はどうやって轆轤を回してたんですか?」
  「人力です。モーターの代わりに弟子がベルトの両端を両手で持って、勢いよく回す。右手で引く時と左手で引く時で轆轤の回転は逆になりますよね。刃を持つ向きの関係で、手前に向かって回転する時はお椀の内側、向こう側へ回転する時は外側と、昔の職人は常に交互に削っていたそうです」

    見ていると、今でも轆轤が手前に向かって回っている時は器の外側、反対に回っている時は外側を削っているようです。

  「職人の削る向きの切り替えも大変でしょうけど、弟子のほうも力仕事で大変ですね…」
  「それは大変だったでしょうね。山の奥のほうで川の水を使えるところでは、水力で回していたところもあったようですけど。水力を使える工房のほうが限られていたでしょう」

    おそらく轆轤が回るスピードは一定のほうが削りやすいんでしょうし、時代が時代だから慣れるまで師匠に怒鳴られまくる弟子、なんて光景が目に浮かびます…。

実際、見ていて飽きない(30秒)

堀ごたつ式、横に座る。それが山中流

  「山中の独特な作り方として、掘りごたつ式作業台の他に、こうやって轆轤の横に座って削るのも他では見ないやり方なんです」
  「普通はロクロの正面に座るんですか?」

    確かに他の産地の写真を見た時は、職人はロクロの正面に座っていた気がします。

  「そうなんです。山中の木工細工はお椀の表面にいろいろな飾りをつける技術があるのも特徴なんです。その飾りをつけるのに、正面に座るより横に座ったほうが作業上の都合がいいというのはあります」

    佐竹さんはそういった話を轆轤を回しながら、しかも冗談を混ぜながら話すのですが、目は常にまっすぐ刃先にあります。話を聞き、話題と一緒にシュルシュルと形を変え続けるお椀を見ていると、耳も目も飽きません。

  「しかし気持ちよく削れていきますね」
  「私も子どもの頃に親が削るのを見ていて、なんだか簡単そうだし、すぐに出来るんじゃないかと思ってたんですけどねえ…」
  「やっぱり難しいですか」
  「相手にする木が、一本ごとに違いますから。たとえば同じトチの木でも育った環境で硬さは全然違います。谷底の日陰で育った木は年輪が詰まって硬いし、日当たりのいいところでヌクヌクと育った木(笑)は柔らかい。その木自体が持つ特徴、硬さや木目の様子を見てある程度その木が持っている特徴を予想してから削るんですが、最初に見えるのは当然、木の表面だけです。表面を見てこうだろうと思って削っていっても中は予想と違ったりして、私も未だに分からないことが多いです」

    山中だとトチの木、ケヤキ、樺の木を使うことが多いそうです。生きた木を削って作る分、乾燥させると反りが出る。だから作品を作る時は、木目や木の硬さからその反り具合を見込んだうえで、自分がイメージする形に仕上げると。
    薄くて繊細なものが多いだけに、神経を使いそうです。轆轤で削っていくうちに「あれ?」なんてこと、あるんでしょうね。

この轆轤が貴重なんだ

 

木工細工職人の鍛治技術

    木を削る刃物も気になりました。
    普通の彫刻刀や包丁のようにまっすぐでなく、先っぽがグッと直角に曲がっています。

  「職人が木に対して横から削るので、先を曲げてあります。これも山中独特です。刃は職人が自分で作るんですけど、弟子入りした職人たちにはそれが最初の難関なんですよ」
  「え、刃物って自分で作るんですか?」

    その刃物はすべて使う職人ごとの一点物だそうです。職人それぞれの身長や体型で微妙に刃の長さが違ってくるそうで、だから自分の刃物は自分で作ると。
    へー。ついつい道具はどこかで買ってくるものと思っていました。でもそれって現代病ですね。しかし、ということは、木工の職人は鍛治もできないといけないわけです。大変だ。

  「隣に刃物を作る部屋があるから、見てみますか?」

    轆轤が回る部屋の隣は、鍛治部屋でした。

  「今はガスのバーナーを使って熱していますけど、昔は炭を使っていました。若い職人、特に女性が弟子入りしてくると、まず自分で刃物を作る作業に苦労することが多いんです」

    ガスバーナーの火は炭に比べて細かな温度調整ができる反面、熱が当たる範囲が狭いそうです。炭の場合、火が入った炭ツボに刃先を丸ごと入れてしまえば、入れた分がすべて熱せられます。それに対して、バーナーだと炎が当たる部分だけ、スポットで熱する形になる。熱した刃先をグッと曲げるためには、思った以上に手前まで熱する必要があるそうですが、それが難しい。

  「なかなか曲がってくれない、これまでの弟子たちはほぼ全員がそう言って悔しそうにしてました」
  「それにしても、道具まで自分で作るんですねえ」

    あらためて驚いていると、隣にいた秋友さんがボソりと一言。
   「ものづくりってそういうものなんですよ」

    そうか。秋友さんの金工でも、そうなんだ。
    実はこのあと、秋友さんも自分の金工細工で使う型のような道具を作ってもらえないか、佐竹さんに相談していました。
    なるほどねえ。
    たしかに伝統工芸の職人さんが使う道具って、日用品と違って大量生産されるものではないでしょう。加えて木工細工なら職人の身長や体型に合った道具の形が必要になるし、秋友さんのような金工なら作りたい作品のサイズや、自分の考えを形にするための道具の形が必要になる。
    この世界なら当たり前のことなんでしょう。
    そこに今まで気づかなかった自分は迂闊だったなあ。
    浅はかさでした。

この鍛治場で、自分で使う刃は自分で作る
この鍛治場で、自分で使う刃は自分で作る

 

作品を作る。そのために必要なもの

    その後、佐竹さんの作品が並ぶ展示室に移動してさらに色々な話を伺いました。
    たとえば、木工細工とこの日見てきた九谷焼の発祥である古九谷が始まった場所はどちらも近く、山中温泉から大聖寺川を上った山奥にあったという話。その職人たちは山を越えてやってきたので、その頃すでに山中は温泉街として栄えていたけれど、山中の人たちはそんな山奥に木工の職人のたちが暮らしているなんて誰も知らなかったこと。そんなある日、おそらく山奥で作っていた木工細工が大聖寺川を流れてきて、下流の山中温泉の人たちが疑問に思って上流へ上ったら、職人の村があったこと。などなど。
    伝承の部分もあるようですが、聞いていて飽きないし、佐竹さんの話がうまいこともあって、笑いが止まりませんでした。

    そしてこんな話も聞きました。

  「ここで作った木工細工は、多くは山中漆器として漆塗りになります。ただ山中の木工職人の中には、輪島の漆器職人に作品を送ることもあるんです。なかには会津に送ることもある。輪島も会津も、漆器の職人はいても、器を作る木工細工の職人がいなくなっているんです。山中はまだ職人の数もいるし、組織として木工を残すための工夫や努力をしています。山中の木工細工の生産量は日本一ですが、たとえば工房に積んであったのは器の材料で、木材からごく大雑把なお椀の形に削り出したものです。木材から削り出すのは手間のかかる作業なのですが、それを若い職人が修行を兼ねて作り、私たちはそれを受け取って作品として仕上げる分業制にしています。そうやって効率をあげつつ、職人を育成しています。それでも本当に将来へ残していけるのかは分からないし、そこはいつも課題だと思っています」

    伝える人、作るための道具、それらを引き継ぐ若い職人、そして作品を買う人たち。
    それらが揃っていなければ、技術と作品は残っていけません。当たり前の話ですけどね。
    佐竹さんがおっしゃる通り、山中のようにシステマチックに手分けをして生産している伝統工芸は今まであまり見たことがなかったので、明るい話だなと思いました。

最後の2枚のように、器の側面に模様をつけるのが山中木工の特徴


    ただ、今回個人的にもっとも印象的だったのは、道具を自作するところでした。

    これは完璧に自分が迂闊でした。

    これまでお会いしてきた職人さんたちは、誰もがたくさんの道具を使いこなしていました。

    たとえば、仏師のBukkouさんの彫刻刀はもしかしたら買うことができるかもしれない。けれど、刃先の研ぎ具合はおそらく他の誰とも違うでしょう。

    唐津焼の岸田さんは使う道具はそう多くないかもしれないけれど、材料となる土は納得するものを自ら掘り出すところから作っています。

    そう考えると、職人が作品作りそのもの以外に「やらなければいけないこと」がいかに多いことか、あらためて考えさせられました。

 

 

    工房を見学すれば作品が生まれる現場を見ることはできる。

    でも、それはその職人の仕事全体からすれば、ほんの一瞬でしかない。

    そう考えると、工房を見学するのは写真を見るようなものだなと、思いました。

    分かりにくいたとえですね。

 

    写真はほんの一瞬を切り取った画です。だけど、僕がいい写真だなと思うのは、その一瞬の前後の景色を想像させてくれる1枚だったりします。

    自分がこれまで職人さんに会って見てきたのは、そこにある1枚の写真に過ぎなかったのかもしれない。

    前後に広がる「なにか」までを、見られていなかった。

 

    もっともっと、広い視野が必要だな。

    だからやっぱり、こういうのがおもしろい。

 

帰りの羽田。でもまたどこかへ
帰りの羽田。でもまたどこかへ